詩の中庭

日々の読書、詩集や詩書の書評、覚書など。

比留間一成さんの思い出

比留間一成先生のお話を伺って

(詩人 小山正孝の御子息、俳人の小山正見氏発行の『感泣亭 秋報』12号 2017に寄稿した文章を、一部補筆)

 

 ブレーメン通り・・・童話のような名前のその通りは、洒落た石畳とこざっぱりした街並み、それでいて活気にあふれた商店街だった。一歩、奥に入ると、閑静な住宅街が広がっている。小雨がそぼふる中を、「感泣亭」への道を急ぐ。前方にシャキッと背筋を伸ばして、雨の中を傘も差さずにゆく老紳士。追いついてみると、やはり比留間一成先生、その人だった。

 比留間先生の畏友である小山正孝さんを記念する「感泣亭」でのお話は、鈴木亨さんの作成された詩史年表を基に、ご自身が文学を志した初心の頃を思い起こしながら、その想いを同席者に伝える、といった心配りを感じるものだった。内容については別途掲載されるようなので、ここでは補完的に、折に触れて私が比留間先生から受け取ったものをご紹介したい。

 「日本現代詩文庫」99巻、『比留間一成詩集』に収められた年譜に、1945年、21歳時の記載がある。「終戦。会社は当分休業となり、知人より借りた宮沢賢治全集六巻をくまなく読み通し、教師になる決意を固める。死に損ないの念を強くす。」文科進学の夢を‶お国に奉公する‴ために断念させられた青年時の想い。人の心や精神を養う、もっとも基盤となる人文系の学問が、戦争の狂気の中で軽んじられ、将来のある若者たちの命が数多失われていった時代・・・教師となって、戦後の日本を立て直す、その決意は、現在に生きる私でも共感できる。しかし、「死に損ないの念」この一言は強烈だった。私の父も、高校の歴史教員となって戦争のことを考え続けていたが、終戦時10歳だった父には、そんな想いは生まれなかったろう。ましてや、私も含めた戦後世代は、何一つ、当時の青年たちの想いを知り得ていない。

 知り得ていない私たちが、夢を奪われて死んでいく仲間たちを目前にした青年の想いに、どこまで肉薄できるのか。外交的な軋轢や摩擦を、安易に武力で解決しようとする風潮が強まっている現在、実際に戦場に駆り出されることになる青年たち――私の息子も、その一人である――に、二度と同じ思いをさせてはならない、そのためにも、知っておきたい。日常感覚、主婦感覚の発想かもしれないが・・・『暮らしの手帳』編集長の花森安治の、私たちは自分たちの「暮らし」を大切にしなかった、だから戦争が起きた、という述懐や、映画『一枚のハガキ』を撮影した時の新藤兼人監督の言葉・・・戦争は一人の兵士を殺すだけではなく、そのすべての家族、家庭も壊すおろかな行為である、という明白な断言・・・そこから出発するのでなければ、私たちは真に戦争を阻止することはできないだろう。

 出来事を知ることは出来ても、当時の心情を知るには、文学作品に拠る他はないだろう。小説、随筆、ドキュメンタリ―・・・様々な文学作品に、青年たちの「心情/真情」は描かれてきた。とはいえ、どの作品も、感情移入して心情を追体験するまでには、相応の時間を要する。それでは、詩歌はどうだろう。象徴的表現や、寓意的表現を用いて凝縮されているがゆえに、腑に落ちるまでには時間がかかるかもしれない。でも、凝縮された真情が、確かにそこには保たれている。心でそれを受け取ることができれば、小説や随筆以上に、直接的に、作者の心情に触れていくことができる。豊かな想いの広がる平野に導かれる。

 比留間先生の考える詩歌とは、そのような心と心の出会いをもたらす言葉を読み、そして書く、ということに尽きるような気がする。もっとも、「現代詩」は、今、現在の知識や感覚で読み解けるものばかりではない。明治以来の口語自由詩が果敢に開拓してきたもの――イメージの飛躍がもたらす驚きや、西洋的な思想の導入、新しい文学思潮の積極的な受容――を真に受け止めるためには、日本文学の二千年の歴史が蓄積され、その中で変容し、変遷してきた歴史を、ある程度把握しておかねばならないだろう。比留間先生は、通信講座においても、対面講座においても、受講生が自ら気づくように、時に応じてピンポイントで教えて下さる。聞き逃したらアウト。そこは厳しい。

 日本語が大和言葉と漢語の双方によって生み出されてきた歴史、それぞれの言語が孕む思考法の相違、漢語の導入がもたらした思想の導入。様々な多様な思考法や文化が、混在することはあっても状況によって使い分けられ(和漢朗詠集に象徴されるような、多様性を重んじる文化。漢字と平仮名、カタカナの併用であったり、水墨画大和絵の併存など)一方が他方を打ち負かし、排除することがない。和をもって尊っとしとなす、その寛容の文化、多様を活かした、多彩な使い分けの工夫。多彩、多様を保つがゆえに、繊細なニュアンスの表現が可能となった、日本文学の特質。漢詩のこと、折口信夫、芳賀檀のこと、カントやヘーゲルなど、観念論や実存主義哲学のこと・・・。たとえば源氏物語は、古来から受け継がれてきたアニミズム的な自然との親和、美しい響きへの感性、豊かな自然への感受性といった、大和言葉が受け継いできた文化と、漢籍のもたらした仏教的思想との出会いがなければ、生まれなかった。

 人智を越えたものに訴える、称える・・・ところから始まった歌が、長歌から短歌へと変じ、さらに俳諧が生まれていく過程において、大きな役割を果たした芭蕉や蕪村は、古来からの大和文化と共に、豊かな漢籍の教養が生み出す実存的思考を有していた。しかも、漢文の読み下しは、既に「漢の国の文学」ではなく、日本の詩歌と呼んでもよい響きや詩想に溶け込んでいる。漢詩の豊かな幻想性は、より自由な和訳によって伝えられるべきだ・・・(実際に、比留間先生は実践されている)。

 比留間先生のお祖父様は、漢文の深い素養を持つ方だったという。お母様は歌に秀でていたとのこと。教育が国策に向かう時代、息子の将来を慮って実学への道に進ませようとするお父様に反発しながら、文学への情熱と憧憬を保ち続けた中学時代。その時以来の情熱が自ずから呼び寄せたような、糸屋鎌吉さん、高橋渡さんや伊勢山俊さん、鈴木亨さんや西垣脩さん、「山の樹」の先輩同人であった小山正孝さんと比留間先生との出会い・・・。 

 詩歌が繋ぐ縁に、改めて思いを馳せている。