詩の中庭

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粟裕美子詩集『記憶の痕跡』(紫陽社2022.8.1)感想

のびやかさと時の深みを湛えた詩集。丁寧で無駄のない情景描写に導かれて、いま、目の前にある景色と語り手の心の中に浮かぶ景色、そして土地や歴史が「ことば」に託して語り伝えてきたイメージや物語が鮮やかに立ち上がり自然に接続していく。

言葉は人の一生よりも何十倍、時には何百倍もの長い“とき”を生きる。著者は “ことば”を命あるものとして、その生そのものが私たちに日々寄り添ってくるもの、時には私たちの内に深く入り込んだり、私たちを高く引き上げたりする柔らかな存在として捉えているように思われた。著者は1945年生まれ、この詩集が第一詩集とのことだが、“ことば”との(明確ではない、おぼろな)出逢いをどのように自分の言葉、表現で伝えようか、という探索を、楽しみながら様々に試して紡ぎ出した詩集だと感じる。

 

〈立て板に水の/立川談志の落語を耳にしながら/野ぶどうの蔓がからまる/雑木林を歩く〉冒頭作品、「たそがれのどこかへ」は意表をついて始まる。立て板に水、という言い古された言い回しが、乾いた頭韻となって立川の音に繋がる。〈私〉であることから少し離れて、恐らくイヤホンで落語の語りに耳(と全身)を傾けながらそぞろ歩く雑木林。〈酒に酔っ払ったように赤い葉が一枚〉目の前をゆらりと飛び去り行くと、後ろに〈談志師匠が立っていた〉。〈想いを言葉にして落語にしてみせるという/熱い思いが/自分がいなくなった世界に連れてきたらしい〉と、いらずもがなの“説明”も織り込まれるが、〈ことばたちは愉快に胸の奥に降りてきた〉〈面白くやろうぜ/エールを光のようにスッと入れてきて〉など、肩肘はらずに感慨を書き留めていくところが、この詩人の持ち味だろう。〈秋の終りの匂い〉をとらえる嗅覚と、人ならざるものたちの言葉を聞く聴覚、 “自由に”舞う赤い葉(漆かナナカマドか…)を“しるし”として捉える視覚が混然一体となったところに立ち上がる幻想景は、“そのとき”の感覚そのものの喩となっている。

「書の景色」は、〈自作の書〉がため息をついたりダメ出しをしたりしているユーモラスな景で始まる。擬音語や擬態語が描き出す “かろみ”の向こうに、言葉を綴る者、綴ってきた者たちの記憶もまた内蔵されていて、〈粉雪がまう白い世界〉のかなたに〈小さな文机〉に〈凛と正座する〉〈若者の姿〉が浮かび上がる。若者を見つめているうちに、いつしか〈私〉は若者になって机の前に正座している。〈胸に地球を抱き/ひろがる想いは大きく熱い/雪の白が紙の白にはげしく呼応してきた/私は心情を形にしようと/意識をこめ/何かに挑戦していた/すべてを壊すつもりで/それが楽しかった〉…他の作品にも共通して言えることだが、空想や想像がリアルに体感されていく心の様相を描きとる筆致の巧みさと、無防備なほど素直に〈楽しかった〉〈可愛かった〉と思いを書き留めていく衒いの無さが魅力だ。ちなみに、私はこの「若者」に高祖保の姿を重ねたのだが、どうだろう。

「初雪」「命の気配満ちる宵」「電車の中の若者」は仔猫、カマキリやヤモリ、そして“イマドキの”若者との出会いから受けた思いを、ひょうきんな言い回しも交えながら書き留めた作品。〈私〉と、私を取り巻く〈他者〉との出会いの積み重ねが日常を作り出しているが、普段はそれを意識することはない。さりげないけれども神秘へと思いを馳せたり、命の循環に思いを及ばせるきっかけとなったり、小さな感動や喜びの発見であったりする出来事を見出していくことが、この著者の詩作の動因となっているようにも思う。

「ことばは何かを見ていた」など、“ことば”自体がモチーフとなった作品もある。人が産まれ、言葉を習い覚え、いわば身に引きよせて言葉を“用いて”いるように思っているが、実は言葉の方が人に“憑き”、言葉の命を豊かにしたり生を営んだりしているのではないか……そんな思いに誘われる。形にならない感情、イメージに言葉は“かたち”を与えるけれども、それは一時の濁流や被災として過ぎていくのではなく、繰り返し呼び戻される生き物のように私たちの傍らに生きているということなのかもしれない、“ことば”そのものが独自の生を有している、そんな感覚が伝わってくる。

表題作でもある「記憶の痕跡」は、硬質な題名ながらユーモアにあふれた作品。知識として得たことが、タイムトラベルのように生々しい実感と感動を持って迫ってくる、その原動力となっているのは好奇心や未知に驚く童心なのだろう。そのみずみずしい力が、痕跡を生きた情景へと蘇らせていく。

掉尾に置かれた「覚悟」は、フィギュアスケートの選手の心に成りきって描いている作品だが、詩集の刊行に対する「覚悟」や、白紙に筆を下す際の覚悟をも連想する広がりを持っている。

時を超えたことばの命と寄り添いながら、身近な人や物たちとの出会いの中で生まれた想いを言葉に〈のびやかに〉託していこうとしている詩集である。