詩の中庭

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山本博道詩集『夜のバザール』(思潮社、2022.5.31)感想

アジア各地を経めぐる旅から編まれた羇旅詩集……ということになるのだろう。しかし、猥雑で活気に溢れる“豊穣”な現在と、様々な痕跡や記念館、戦跡などから浮上してくる近現代の歴史の層が重なり、さらに“豊穣”に見える市井の人々が垣間見せる経済的な不均衡や理不尽への思いが陰影を深める。その場を訪れたような臨場感に誘われるが、それは旅情や好奇心を満たす旅の魅力だけではない。苦悩や血の記憶の想起、感受と思索の旅という、痛みを伴うものでもある。

〈しずかだった果樹園の村は/数ある処刑場のひとつとして/血を吸った樹木と地面にこびりついた衣服とともに/悲しみをつたえる野に変容していた/そんな場所がこの国には三百二十か所あるというが/五百か所だという話もある〉……処刑場跡に立った時の呆然とした心象を語る、淡々と語り起こすような行分けパートと、〈窓を開けるとぼくの泊っている黄色いホテルのどの部分なのかその黄色い漆喰の壁がすぐ目の前で衝立てのようになっている部屋に四泊したが最初の二日間はベッドの上の小バエに似た数十匹の虫にフロントで借りてきた殺虫剤「Raid」を噴霧しすぎたのかその甘ったるい匂いに悩まされ…〉息つく間もなく紡ぎ出される現在の状況を語る散文パートが印象的な作品、「黄色いホテルと人の骨」。山本がカンボジアを訪れた折の作品だが、この詩のどこにも、国名もポル・ポトの名も出てこない。それゆえに、というべきか、場所と時空を越えた恐ろしさが立ち上がってくる。

詩人の想像力は、“その時”の情景をまざまざと“見て”しまう。〈サトウヤシの樹にはのこぎり状の分厚い葉がぎっしり生えていて/その刃物のような葉で喉をかっ切られて人びとは死んだ/子どもらの足を持って打ちつけたキリング・ツリー/断末魔の叫びをかき消すラジカセを吊るしたマジック・ツリー〉〈べつに理由なんていらなかった/男はバナナを一本盗んだ罪で撲殺された/女たちは闇夜にも月夜にも犯されて殺された/僧侶も医師も歌手も教師も首を斬られて殺された〉……追体験を語るパートの間に、今、詩人が歩いている市場の雑踏が流れ込んでくる。〈日用雑貨、鮮魚、干物、過日、衣類、家電、履物、胡椒、鍋釜、野菜、化粧品、骨董品に生地、絵画、タランチュラにタガメの唐揚げまぎれもなくそこを行き来する全員が殺した方か殺された方の後裔で大にぎわいのトゥール・トンポン・マーケットの食堂の一角で…〉

あわただしく語り終えてしまわなければ息がつけない、というように繰り出される、現在の繁栄、人々の生気や活気、日本とは全く異なる衛生観念、それを呑み込み溢れ出す生命力。過去の“事実”とナマで出会った衝撃や、沸き起こる言葉にならない感慨を語る行替え部分は、余白の部分に作者の感情や思想が言葉になるまでにかかった時間が込められているように思う。

アウシュビッツのことは多くの詩人が語るのに、ポル・ポトの“犯罪” について語る人は多くない。(既に犯の域を超えて、人類の罪、だと思うが)声をあげるには悲惨すぎて、絶句という状態に追い込まれるのだろうか。以前、テレビのドキュメンタリーで穏やかに(というよりも、千年も昔の出来事、という感じで淡々と語る)カンボジアの老人の言葉に戦慄したことがある。誰もが殺し殺されるという重さをナマの感覚として携えているからこそ、未だに語らない、語れないという状態に置かれているのだろう。“事実”の掘り起こしと伝承は少しずつ進められているとしても、悼む、という心にとって最も大切な喪の営みが、未だに沈黙に代替されている、という気がして居たたまれなかったことを、この詩を読みながら思い出していた。

 

他の詩作品にも、タイ、ミャンマーベトナムなど個々の国名はほとんど記されることがない。作品名と訪れた国や都市の一覧の掲載はあるが、一般的な旅行記のように訪れた国ごとに作品を並べるのではなく、テーマや詩作品の持つ情調によって、様々な都市や国での記憶が交錯する。汎アジア的に旅路が想起され、再構成されている、というべきか。

「死の鉄道」では、泰緬鉄道の歴史的事実が現地の風土や人々との遭遇の中で呼び覚まされる際に、自分自身の過去の記憶や、映画や書籍から得た知識が想像力の中で肉付けされて重なっていく。もしかしたら戦時中のPTSDを患っていたらしい作者の父親の記憶なども呼び覚まされるのだろう。

第三次世界大戦前夜のような状況に向いつつある現在、「夏の一日」の中の無防備なほどストレートな一節、〈戦争が世界の庭を実らせたことなど/いちどでもあったろうか〉〈圧倒的な暴力と/欠けらさえない人間の尊厳〉は、その現場に立ち会うことによって出てきた率直な感想として、私たちがまっすぐに受け止めなくてはいけない言葉だ。ヒロシマナガサキ原爆資料館や沖縄の戦争資料館で画像や映像、遺物から受ける衝撃を思い出そう。言葉は遅れてやってくる……手記や日記などが展示されていて、それを読んでいても圧倒的な画像や物の“言葉”が先に押し寄せてきて、語る言葉を失ってしまうような感覚になるだろう。逃げたくなる、と言っても良いのかもしれないが、そこまでの衝撃を“与え続けなくてはいけない”現実が、資料館を存続させているのだと思うとやりきれないものがある。

 

過去との交感ではなく、現在を受け止めた作品にも作者の社会的な視点がうかがえる。「戒厳令の街」は、政治的な混沌や緊張感を圧して(それを乗り越えて溢れ出すように)迫ってくる庶民の暮らし、生活、生きるということの剥き出しの欲望が描きとられているように思う。句読点がなく、まさに文字が詰め込まれている感じだが、脳内再生しても(実際に音読された場合でも)スムーズにつながっていく感覚は、朗読を意識して書いた作品なのかとも考える。

バングラデシュを訪れた時の作品では、まさに喧騒の坩堝、その中で人々がひしめき合いながら働いている日々や人いきれがリアルに伝わってくる。同時に賃金格差や労働とその対価に対する山本の思いが詩の向こうから伝わってくるのが印象的だ。山本がタイのチェンマイで“観光”した、少数民族の“生き方”そのものを“博物館”のように“展示”している村。少数民族の文化伝統、言葉や芸能を“守っていく”ことと、前近代の弊害をそのまま温存することは異なる、と思うものの、そのようにするほか“生きる糧”が得られない人たちがいる、という状況について、考えさせられる。

 

ほっと、どこか懐かしさを感じる風景に出会った安堵感を歌った作品もある。

「露店/茣蓙/風船売り」、「ヤンシン市場」や「風の街かど」などは――私は戦後の闇市を知らないけれども――当時の日本にタイムスリップしているような感覚を覚えた。ピストル持ち込み手榴弾持ち込み禁止、と当たり前のように記される現実には驚かされるが(「ピストルと毒グモ」)、あらゆる虫を(毒や牙、針があっても、弱小であろうと寧猛であろうと)全部ひとまとめに油で揚げて食べてしまう、というバイタリティーは……昔話の三枚のお札などの最後のオチ、鬼や鬼婆を丸め込んで食べておしまい、というしたたかさに通じる面白さや“生きる”エネルギー、暮らしの活力を感じる。

詩集を通読して、市場巡りに憑かれた山本を突き動かしているのは、喧騒や生命力、珍しさや刺激から得られる高揚感といった祝祭的なものや、戦争や歴史、経済に関わる社会的な興味からだけではなく、かつての日本や過去の自分自身の生活、映画や本などに培われた若い頃の熱情との再会でもあるのかもしれない、と思った。