詩の中庭

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「弱さとは人をして祈りに導く使ひなり」~及川俊哉『えみしのくにがたり』を読む

1.水蛭子とは、何者か

 2017年夏、私は『詩と思想』の編集委員として詩と思想新人賞の一次選考に参加した。その際、文字通り“度肝を抜かれ”たのが、及川俊哉の「水蛭子(ひるこ)の神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願ふ詞(ことば)」だった。現代詩のコンクールに“祝詞(のりと)”が出現したのである。及川の一作は、口語自由詩を主体とする大量の詩作品の中でポツンと孤立した、時代錯誤の作品のように思われた。しかし、読み始めて一驚した。イザナギイザナミの愛児であるにも関わらず、神として奉られることのなかった「水蛭子」を大神と崇め、あなたが日本を離れている内に(いな、むしろそれゆえに)、私たち日本は戦争への道を辿り敗れることになった、そして、その敗戦の惨禍が、私たちに〈人類が相争ひ国と国とが戦ふことの患(うれ)ひ多きを〉身をもって教えたのだ、と述べていたからである。

 及川はさらに、3.11の大震災以降の政治情勢について、〈千歳毎(ちとせごと)の地震(なゐ)の禍(わざは)ひにより国の弱りたるを怖じおそる者の多くなり悪しき戦ごとを起こさむとしていたくさやぎてうたてかりき〉と、昨今の不安と恐れとを「水蛭子」の神に訴える。

 うたて、という言葉に立ち止まる。人智を越えた存在に救済や加護を祈り“訴ふ”ことがうたの始まりだ、と言われる。吉田文憲が評論集『「さみなしにあはれ」の構造』の中で、主に東北地方で用いられる(古語であると同時に、今もなお用いられている)うたて、という言葉にインスパイアされつつ、「うた」の由来に言及していることも思い起こす。言葉として発すると障りがあるような、そらおそろしい、なにか形容しがたい気配。辞書を引くと甚だしい、という意味が最初に出て来るが、不気味で恐ろしい、なにか嫌な予感がしてたまらない‥‥‥うたて、とは、そんな時に、人智を越えた力の発動を願って発せられる言葉なのだ。〈悪しき戦ごとを起こさむとして〉〈いたくさやぎ〉いる昨今の政情や世界情勢を水蛭子の神に訴え、及川は神の御力によって〈戦を防ぐ為(ため)に善き議(ことはかり)を作(な)しませ〉と請願する。

 それにしても、なぜ、祝詞の形式を採用したのだろう。水蛭子の神に呼びかけるためには、古事記の記された当時の言葉を用いねばならない、ということなのか。大きな災厄をもたらした歴史の歩みが、誤りであったとするなら‥‥‥その原初に戻って、語り直すことが必要だということか。日本が水蛭子の神を葦船に入れて流し去った時点にまで遡り、私たちがその時、遠くへ押しやったものを再び、取り戻す必要がある、及川は、そう言いたいのだろうか。あるいは、詩人として、現代詩の担い手として、現代詩の歴史を口語から文語、さらには日本語が発生した時点にまで遡り、その劫初の時点から再び語り直しを行おう、という創作意欲の表れなのか。いずれにせよ、強靭な思想性と方法論の強度、強い意志の力とを感じる作品として、新人賞候補に推した。

 

 以前から水蛭子が気になっていた。神世七代(かみよななよ)の後、イザナギイザナミ、二柱の神によって“日本”が生みなされていく。その第一子でありながら、国造りには “役立たない”存在として、遺棄される神。“日本”の始まりにおいて、私たちが捨て去ったものは何か。選び取った方向性は、本当に正しかったのか。私たちの歴史を考える時、水蛭子の意味を問うことによって、その答えが見えて来るのではあるまいか。しかし、この問題のとば口を見いだせずにいた。

 女神イザナミの側から声をかけ、まぐわい生をなしたのが水蛭子である。その後、改めて男神イザナギの側から声をかけ直し、国造りの“ちから”を持つ神々が生みなされていく[i]

 母権型の社会が生みなした“神/ちから”である水蛭子は、物質的な富の生産に加わることもなく、戦いに際して立つこともない。生きるためには多くの補助が必要なのだ。生まれ落ちたばかりの赤ん坊が、ありとあらゆる手助けを必要とするのにも似ている。言い換えれば、水蛭子は、助け合い、力を補いあうという共苦、共感、互助の精神の顕在化を促す存在である。人が生まれながらに持つ、思わず他者に手を差し伸べずにはいられない心性――神山睦美が『希望のエートス』や『サクリファイス』などで指摘した、震災時に露わになった日本人のエートス――を、水蛭子という存在そのものが引き出し続けることになるだろう。水蛭子とは、本来、人々に内在する“ちから”の発出を促す存在だったのではないだろうか。

 だが、日本人はその力をいったん見えないところに押しやり、男神の主導で八島を“生む”(支配下に置く)。家屋や道の整備、農業を集団的に行うための水の配分といった“ちから”を神格化した神々、物質的な豊かさを生み出す為に必要な“神/ちから”を、次々に生みなしていったことが、古事記に歌われている[ii]

 

 及川は、水蛭子をどのような存在としてとらえているのか。及川は、〈弱さとは人をして祈りに導く使ひ〉であるという。長年の懸案が一気に解けたような気がした。弱い、ということ、無力である、ということ。その自覚と受容から始まる、祈り。日本が、その始まりにおいて見えない場所に追いやったものこそ、この弱さの自覚ではなかろうか。

 及川は、この祝詞を、「古事記」「日本書紀」「ミカ書」を参考にして創作したという。祝詞に聖書の一節が参照されるというのも珍しいが、及川にとっては、聖書に記されたことも〈外つ国の神〉の語った真理なのだ(エラノス会議が志向していたものに近い、壮大な思想/理想を、私はそこに感じる)。及川が〈足蹇(あしな)へたる者(もの)をもて遺餘民(のこれるたみ)となし遠(とほ)く逐(おひ)やられたりし者(もの)をもて強(つよ)き民(たみ)となさん〉という旧約聖書の一節(終りの日に神が世界を滅ぼし、良き人々を贖うだろうという預言)を引用しているのを目にした時、私が思い出したのは新約聖書の聖パウロの言葉――「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても」満たされています、「なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです」――だった。自らの弱さの積極的な受容。弱さを自覚するがゆえに強い、という逆説。無力ゆえに侮蔑され、追われた水蛭子の神、弱さを最も象徴的に体現する神に、及川は再び戻り出でませ、と祈り、呼びかける。

 大震災の時、私たちは本当に無力だった。敗戦の時も、私たち(の父祖たち)は、自分たちの無力を自覚させられただろう。力を持って力に抗するのではなく、力を放棄することによって人々の平安を守る、弱さによって国を守る、という逆説を土台にした憲法九条を、及川は〈世の国国の悉く掲げるべき理想の法なり〉と奏上し、水蛭子の神が再び日本に戻り、その力を発揮することを願う。

 

 この作品が高良留美子、郷原宏、森田進の三選考委員の本選を経て、第25回「詩と思想」新人賞を受賞したとき、反戦を主体とした、思想色の強い詩集が生まれるのではないか、という予感(とかすかな困惑)を抱いたのも事実である。この一作のみを読んだ段階においては、戦争の悲惨を体験し、平和憲法という理想の法を獲得した日本を守り、震災の悲惨に“乗じて”日本を強い国にしよう、としている動きに対する牽制を、人智を越えた“ちから”に対して祈りあげる作品であるように思われたのだが、もし同じような方向性の作品のみによって一冊に編み上げられるならば、いささか思想性に偏りすぎるのではないか、という思いがあった。

 だが、「水蛭子(ひるこ)の神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願ふ詞」が組み込まれた詩集が上梓されたとき、私の浅薄な予感は悉く裏切られた――もちろん、良い意味で、予期を越える驚きを持って。

 

2.言霊に託された、東北への思い

 及川は、巻頭に波の神の歌を置く。知里幸恵がカムイ・ユカラを、現代人に伝わる易しい、しかも詩情に満ちた口語に翻訳したように、及川は〈波の神〉〈海のきらめきの神〉の歌を、私たちにもわかる歌の言葉で代弁する。さらに、そこにはかつての祖先たちの歌――万葉時代の相聞歌が編みこまれ、愛しい人同士の“別れ”の悲哀が、津波で引き裂かれた愛しい人同士の悲哀に変容しながら重なり、呼び覚まされていく。かつて、その歌を歌った肉体は滅びたとしても、歌は残り、他者の肉体を経て、読まれ、歌われ、口ずさまれることによって再生する。100年に満たない人の一生よりも、ずっと長い時を、言葉は語り継がれ、歌い継がれることによって生きているわけだが、その永続性が神の言葉として歌われる、と言っても良い。過去の死者の思いが現在の死者の思いと重なり、神の歌として幾度も再生されていく。それを、現代の生者である及川が、〈波の神、海のきらめきの神が語った〉こととして、私たち現代の読者に語って聞かせるのだ。

 “神”が、〈ナンジョニガシテヤリタクテモ ナンタニスレバイインダガ〉と、その土地の言葉で自らの無力を歌うということも、なんとも象徴的だ。神にすら、どうにもしてやれないほどの災厄が襲った地にあって、ひとりひとりの死者への思いをただ歌う事、思いやることしかできない、という無力。それほどのことがあったのに、震災後に多くの命を飲み込みながらも、いつもと変わらぬ美しさで広がっている海の姿‥‥‥。

 波の神は、過去に歌われた歌を過去の姿のまま呼び戻し、現代の私たちに歌いかける。残された者に成り代わって一人一人の死者への思いを歌い、自らの無力を隠すことなく独りごち‥‥‥それから、美しくきらめく海の上を、〈なんの不安もなくおそれもなく〉〈ただただ涙が止まらない〉まま、渡っていく。それは、波の神の心身とひとつになった震災の死者が、常世の国に運ばれていく様を神の側から歌う霊送りの歌である。神の歌でもあり、死者の歌でもあることばを、及川が聴きとり、シャーマンのように現代の我々のもとに届けようとする歌である。初出を見ると、この作品は震災後二か月の内に生まれている。その歌を、及川は詩集の巻頭に置いている。

 

 続いて始まる一章には、千年の昔、今と同様の災厄に見舞われた人々が生きていた時代に、彼らが神に語りかける際に用いた形式――そして今もなお語り継がれることによって“生き続けている”祝詞の形式による、一連の「詞(ことば)」が置かれる。最初は、「陸奥国信夫郷(むつのくにしのぶのさと)」の地霊に、福島を再び穏やかに平らかに保ってくださるように請願う詞。当地の伝説に伝わる「虎女」「おろす」を巫女として称え祀り、いわば神への執り成しを祈る。かつて旅人が新しい土地に入る際に、和歌や俳句に託してその地の神の名を詠み込んで挨拶とすることがあった。その土地で継承されてきた祭りにも、地霊の名を呼んでその地の神として称え、新たに祀り直す機能があった。現代人が長いこと忘れていた、こうした土地への畏敬の念を、及川は祝詞の形式で現代に復活させようとしているように見える。

 次に、「原子力発電所鎮め」と「放射性物質の神等を遷(うつ)し却(や)る」詞が置かれる。祖先たちが人智を越えた力や災厄を鬼神として畏れ敬い、鎮まることを一心に祈ったように、また、古代の人々が祟(たた)り神を「遷(うつ)し却(や)る」祝詞によって、その土地の平安と人々の無事を切に願ったように、我らを憐れみ、どうか鎮まってください、と祈りあげる詞。古代の人々が言霊の力に願いを託したことに倣って、及川も〈放射性物質の神等〉が祈りの力で鎮まることを願うのだが、同時に、私たち現代人に向けて、猛省を促す批評となっている。すなわち、地中深く眠っていた放射性物質を採掘し精製し”目覚めさせ”、発電の為に使役して諸々の放射性物質を生み出した挙句、水素爆発によって汚染を拡散するに至ったのは、人間の力で制御できる、という驕りのゆえではないのか。放射性物質を鬼神として畏れ敬う祈りの詞から滲むのは、痛切な悔恨と安全な未来の希求である。

 「古蝦夷神(いにしへのえみしのかみ)荒脛巾大神命(あらはばきのおほかみのみこと)」への詞は、東北地方に伝わる古代神話と東北の歴史とを振り返り、〈ヤマトの王は多くの軍勢を遣わし、私たちの祖先を鳥の群れを追うように追い散らし~日本列島の蝦夷たちはみな黙し、あなた様アラハバキの大神は説諭されて身を隠してしまわれ〉た、しかし今、震災と原発の災害によって〈あなた様(アラハバキの)大神の民たちは嘆き悲し〉んでいる、〈この国に集う民のため、千年二千年の眠りからさめて、昔のようにもう一度新たに復活して頂きたい〉と、蝦夷の神である荒脛巾(あらはばきの)大神に願う詞である。(現代語訳は、及川俊哉オフィシャルサイトhttps://syunya-oikawa.com/gendaigoyaku/から引用した。詩集の栞に付されたQRコードから、このページを簡単に参照できるようになっている)。

 「あとがき」で、及川は折口信夫を引きながら〈大和朝廷記紀神話に他の地方の神話が繰り込まれる過程で、朝廷の意向にそぐわなかったエピソードは消えて行った〉〈東北地方には蝦夷と呼ばれる先住民族がいました~彼らにも神話(折口信夫に倣って言えば「国語(くにがたり)」)があったはずです。それらは、現在は跡形もなく失われています。しかし、3.11以降の東北における諸問題に対峙するためには、いわば「蝦夷の神話」なるもの、その機能を果たすものを仮想してみる必要があるのではないか、と考え、詩集のタイトルを「えみしのくにがたり」としてみました〉と記している。水蛭子と同様、国造りの“正史”から除かれていった、もうひとつの歴史。私たちが見失ったもの、取りこぼしたもの、過ちを糺すきっかけとなるもの‥‥‥が、そこに眠っているのではないか。自らのルーツを問い、自覚を促す祈りの詞でもあるように思われる。

 続いて「三島由紀夫原作の映画「美しい星」の映画制作無事と興行成功とを祈る詞」という、なんとも不思議な祈りが置かれるのだが、及川は、三島が小説にこめた思いに〈呼応するものを感じることができるならば、現世の民衆が危機の時代を生ききる糧になる〉という三島論を展開する。三島を神格化しているとも読まれかねない作品をあえて提示することに疑念を持たないわけではないが、三島の魂に、あえて異を唱える形で及川がショーペンハウアーを引きながら〈キリスト教の核心は「共苦」である~人の世における救済の欠落こそがキリストの共苦による真の救済を生むという大逆説がキリスト教の神髄〉と述べ立てるところは、実に興味深い(現代語訳は、前出のウェブサイト)。苦悩する民に「共苦」を示した者が「犠牲」となる、という逆説の中に、震災の被災者への哀悼の念と、危機を脱するための強い意志の希求とが重ねられているのは、言うまでもない。

 水蛭子の神に再来を願う詞が置かれるのは、その後である。この祝詞だけ単独で読んでいた時は、水蛭子の意味を問い直しながら、憲法九条の意義を確かめるという平和への祈りのように思われたのだが、数々の祝詞に続けて読み込んでいくと、東北の民が身をもって体験した悲惨を、もっともよく知るであろう祖神に訴え復興を願う詞が置かれた後に、その体験から得た智慧が、より普遍的なものとして日本に、世界に受容されるように願う詞が置かれていることがわかる。水蛭子の神の運命に東北(蝦夷)の民が歴史的に被って来た状況が重なり、天災と共に人災をも負うことになった東北地方への深い共感が伝わって来る。

 

3.現代詩への方法論的な視座

 祝詞形式の作品を中心に述べて来たが、及川は現代詩の創作において、極めて意識的な方法論を駆使する作家でもある。二章の冒頭に置かれた「「『「「現在震源浴」は、記号の用い方で文字そのもの、ことばそのものが震えているような、奇妙な身体感覚を引き起こす。〈ぎゅい、ぎゅい、ぎゅい。ぎゅい、ぎゅい、ぎゅい。〉余震を想起させるような不気味な擬音から始まる作品は、歌人、田丸まひるとのコラボレーションだという。特に、〈ふれるだけでひとの表皮の細胞がこわれてしまうことは知ってる?〉という短歌の後に、ひときわ大きな文字で〈ぎゅい、ぎゅい・・・〉と記されるコントラストは、田丸の歌が放射線についての歌であるのかどうかは別として、心理的な圧迫感として読み手の側に迫って来る。ページをめくったとたんに飛び込んでくる、ラスト数行。文字の大きさや太さ自体もデコボコで、詩行が崩れているような文字組で記された〈だんだん、いまがこわれていっていませんか?〉という一行の凄み。

 「皮膚に似た感情」も、表記の実験を試みた要素が強い。縦組みの文字列にはウェブ検索の際に眼にする、奇妙な記号の羅列が組み込まれ、抒情的な詩文がウェブ空間に飲み込まれていくような視覚効果を生んでいる。〈あなたの身体を調律する。〉からの数行、数字と記号にまだらに侵蝕されたような詩行の中から飛び込んでくるのは、〈自らの精神及び身体に向かわないものを、「霊4%E3%8」と呼ぶ。〉〈また、その中でも生死に関わる反省を持つものを「魂0%8C%E5」と呼ぶ。〉〈両者をあわせて「霊3%魂」と呼ばれるが、これらが3%E3%83%88%の根源である。〉という文言。魂の重さを量ったという“実験”について叙述しているらしき詩行の間から仄見えて来るのは、体と魂、霊魂の関係性への及川の継続的な関心である。初出によると、この作品は震災前に創作されたものである。本詩集にはもう一作、震災前の作品「せいめいは じつざい しない」が収められているが、こちらもテーマは生命。物理的な身体現象に関する知識や意識と、いのちや心に関する体感との齟齬、感覚を巡る思考について、平易な言葉で問いかけている。及川が、震災前から命や生命、魂、実存といった問題に、日常感覚レベルから形而上的、観念的な次元に至るまで、常に意識していたことが伝わって来る。

 三章は、さらに平易な(児童詩にも分類し得るような)「ふゆのしごと」から始まる。草野心平を彷彿とさせる作風。続く作品にはその土地の言葉が織り込まれ、その地で生きる日常の中で感じる感慨が、やわらかな言葉とユーモラスな表現でスケッチ風に描かれている。震災後に集中して創作されたらしい土地の言葉が織り込まれた作品は、祖先たちが千年前の災厄をどう乗り越えてきたのか、その思いの強さが代々その地で使われてきた言葉を及川に選択させたように思われる。

 四章もユニーク。和讃を思わせる七五調から始まる作品、「聖☆三十三ヘンツン菩薩」に描かれているのは、愛猫の〈菩提を弔う〉ための巡礼行である。創意工夫によって過去に生み出された文体を、及川は選択し得る文体のひとつとして現代の話法と並置する。

 冒頭の和讃風の部分は、巡礼に出立するまでの縁起。ブログの記事のような軽快なタッチの横組みで巡礼記、壮絶な憤怒相の「単眼単髻羅刹女」が歌った歌が挿入され、やがて〈観音巡りはシナプスを巡る行為〉〈三十三の観音堂を結ぶシナプスの結合によって、/わたしたちはいにしえの人々の身体情報を受け取る〉行為であり、〈巡礼の道を身体まるごとでなぞりたどる〉ことは、〈信達の土地をたどること〉〈古人の野生の思考の脈絡をたどること〉そして、〈自分自身の感情が昇華される山道をたどること〉である、という認識が示される。さらに漫画のような軽妙なページを経て、失った猫との思い出が懐かしむように採り上げられ‥‥‥再び、和讃風の文体で、〈命の尊さ〉を教えてくれた愛猫への感謝を述べて、作品は閉じられる。

 

4.大きな死と小さな死

 巻頭及び一章には、震災で失われた膨大な人々の死を、ひとりひとりの肉親や愛しい人に成り代わって追悼する歌が収められていた。一人の人間には受け止め得ないような、神の次元においてしかとらえられないような、大きな死。及川は、いわばシャーマンになって神の声の中継ぎを務める。

 対して四章で扱われる愛猫の死は、猫好きではない読者には大仰とも思われるほどの、いわば小さな死だが、及川夫妻にとってかけがえのない家族だったのだろう。愛しいものを亡くすという哀しみを、いかに乗り越えていくのか、という誰にとっても切実な問いを、及川は身近で(語弊があるが)卑近な死をいかに乗り越えるか、という実践を行うことで、身をもって解決しようとする。巡礼という古来からの“行”を経て及川が辿り着いたのは、命の連鎖に触れた、という実感としての感慨ではなかったか。〈私たちは観音堂を巡りながら、/つねに彼らの身体感覚が寄り添うてきているのを感じていた。〉〈わたしたちと彼らとは、互いが互いに呼び交わす声のようなもの。〉彼ら、とは、過ぎし世の、既に肉体を失った人々、生き物である。愛猫もまた、その一員にとけこみ、現世にあるわたしたちと呼び交わすものになった、ということを、及川は巡礼を通じて感じ取ったらしい。

 その後に置かれた「にゃんこに語る正法眼蔵」は、語尾にキャラ語のような「~っち」を付したり、ラップ風の調子を付けるような「~YO」を付けたり、〈一般ピーポー〉などネットスラング的な用語を隔てなく用いたり‥‥‥真面目に不真面目、とでも呼びたいような軽妙さやユーモラスな表現を多用しているが、自らの心身で感じ取ったこと、悟り――まではいかないにしても腑に落ちたことを、愛猫への語りかけというギミックを用いて、今を生きる自分の言葉で語り直す試みだと言えよう。最後に置かれた二篇、「一瞬の自戒」は静、「わっしょい!生命!」は動の様態で、古来からの智慧を自らの身体で受け止め、語り直していく詩篇である。個々の生命が生死を繰り返しながら、大きな一つの生命体のように、いのち、を生きている。個物としての死は滅亡ではなく、この大きな生命体の一部となることであり、現世に生きる私たちは、何らかの機縁で彼らの体験に同化し、自らの体験として感じ、彼らと呼び交わすことができる。そのことを観想し、実感し言祝ぐ、静と動の詩篇である。

 

 震災の折、あまりにも多くの人が、一人一人の死を悼む時間も猶予も許されなかった。そうした人々にとって、死者は未だこの世にあって、残る想いに生者もまた、身を引き裂かれ続けているのではなかろうか。その無念、残念を、多くの死を一つの大きな命のように体現する神に託して、亡き者を哀悼し、ひとりひとりを大切に海の彼方の常世へと霊送りする。それが巻頭詩に歌われた想いであろう。及川が――愛猫という、ごく身近な死を受容する為に行った実践――巡礼行を経て心の状態を確かめつつ、死を穏やかに受け入れ、あの世へと送るに至った丁寧な服喪の時は、死者の為の時間でもあるが、これからの生を生きていく生者の為の時間でもある。誰にとっても大切な、一人の死、一つの死を悼む、という、小さな営みはきっと、あまりにも大きすぎて人には受け止めきれないような災禍となった震災を受容し、その後を生きる人々に、穏やかで不安の無い、より豊かな日々が保たれるように、と祈ることに繋がっている。

 霊送りで始まり、生命の讃歌で閉じられる『えみしのくにがたり』は、その土地に生きる者が、その土地で繰り返されてきた生死の連なりの厚みに触れる、ということの意味を問い続けた結果、生まれた詩集である。その土地に生きる言葉を用い、その土地でかつて語られた物語を語り直す時、言葉に託された過去の人々の思いは、新たに語る肉体を通じて再生される。その言葉を聞く現代の我々は、過去の積層と共にその言葉を聞くだろう。それは、過去の人々と共に、今を生きる、ということではあるまいか。

 そのことを確かめるために、及川は祝詞を奏上し、神の領域に足を踏み入れた人々に呼びかける。彼らからの声を聴き、現代に生きる私たちにも伝わるよう、語り直すことによって媒介者となる。死者と生者との間を行き交う、声の往還。『えみしのくにがたり』は、及川俊哉による、その実践記であるといえよう。

 

              『詩と思想』2018年5月号 2023年5月31日加筆修正

 

[i]私見だが、女性主導の母権的共同体から男性主導の父権的国家へと、社会体制が変化していく過程が、そこに反映されている、と私は考えている。母系、父兄/母権、父権という問題に踏み込むと議論が複雑にあるので、ここでは相互互助に基づく小規模集団の維持を志向する社会を母権的、社会的秩序や罰則などを定め、集団の拡大を志向する社会を父権的と、ゆるやかに定義するにとどめる。

[ii]その後、農具や武器を作るために必要な鉄を扱う力も手に入れ、冶金や窯業に欠かすことの出来ない火を生み出したところで、イザナミはホトを焼かれ、絶命する。オオクニヌシの国譲り譚と同様、不死である神の「死」とは、その神の体現する(象徴する)社会体制の「敗退」を暗示していると見ることができる。黄泉に下ったイザナミが人間に死を与える存在になり、地上に戻ったイザナギが、男神だけの単独の力で、アマテラスとツクヨミ、そしてスサノオを生み出すということも象徴的だ。その後は豊穣と殺戮の両面を持つ山姥伝説の中に、グレートマザーとしてのイザナミが温存されていくことになる。