詩の中庭

日々の読書、詩集や詩書の書評、覚書など。

2015年度回顧と展望(一年間、詩誌月評を担当して)2016年『詩と思想』1・2月合併号掲載)

進化よりも深化を

 

 季刊、月刊、隔月刊、個人誌、同人誌、総合文芸誌……この一年間、実に様々な「詩の現在」に触れることができた幸運を、読者の皆様に感謝申し上げたい。現代詩は行き詰まりを迎えているとも言われるが、私見では、むしろ新たな豊かさへの助走期間なのではないか、という印象を持ったことを、第一に記したいと思う。短期間の定点観測に過ぎないとしても、多数の批評や書評、詩論、後書やエッセイなどに見られる思想的な豊かさは、詩を生み出す土壌が、まだまだ肥え続けていることを信じさせるに足るものがあった。詩人たちが詩への情熱を失っていないこと、社会や文明、歴史に対する広い視座と知見を持っていることを、大いに賞讃したい。

 本誌が編集の柱としている社会性、地域性、国際性の三分野に沿いつつ、詩誌評におけるこの一年を振り返ってみたい。進行上、地域性の問題を最後に考える。

 

社会性

 今年は、安全保障関連法案、原発再稼働、普天間基地移設問題と、大きな政治的判断を問われる転換の年であった。詩誌にも集団的自衛権原発再稼働に対する不安や批判の言説があふれていたが、概ね、エッセイや後書などの散文が多かったように思う。時事問題や政治問題をテーマとした詩の多くは、言葉が「なま」過ぎると言うべきか、シュプレヒコールや演説、論文調の散文を、句読点に合わせて行わけにした印象のものが少なくなかった。今後の課題であろう。

 五月号『飛揚』李承淳「私は何になったのだろう?」は、ヘイトスピーチを浴びせられた人の内面を、身体的な比喩表現を用いて、他者の感情にダイレクトに伝えようとする作品だった。実際の言葉が引用されることによる衝撃と、その時の内面的なリアリティーを伝える表現との相互作用が、詩作品としての強度を生み出していた。八月号『いのちの籠』内田武司「国会議事堂前にて」は、デモに参加した母子の姿をドキュメンタリー風に記しつつ、親子の口から、将来どのような「言の葉」が生み出されるのか……そんな予感が作者の内に生じていることを伝える表現が印象的だった。

 忘れてはならない記憶、として、戦争体験を伝える作品も多かった。イラク戦争後の兵士のPTSD心的外傷後ストレス障害)が、アメリカ国内でも問題となっているが、5月号で採り上げたRAVINE』石内秀典「巡礼――記憶の深部で――」も、戦場から帰還した兵士の肉声を伝える作品の一つである。紙幅の関係で月評には載せられなかったが、若木由紀夫によるkomayumi』二七号「ペルソナ「狩り出し」」は、一九四五年六月三〇日に、秋田県の花岡鉱山で起きた中国人労務者の蜂起とその後の顛末を描いていて、忘れがたい作品である。七月一日の朝方、「花岡の支那人が脱走した」という報を聞いた村の男たちは、「鎌や鍬、棒を担ぎ、狩り出しと称し、勢い込んで飛び出して」行く。以下、部分引用する。

 六十過ぎと思われる皺くちゃの男が荒縄で電信柱につながれていた(中略)男は四方から伸びた棒で打ちすえられ、涎を垂れ流し、声をしぼりあげて泣いた。言葉らしき音声があぶくとともに吐き出され、曇り空に散っていった。村人は互いの顔を伺い、押し黙る。(中略)目の前の男に刃向かう力のないことはわかっていても、打擲はやまない。わたしも見ていた。遠巻きに見ていた。震える体を両腕で押さえつけ、いきまく村人たちのすき間からじっと見ていた。(後略)

「わたしは見ていた」と繰り返されるフレーズは、今なお作者を苛む悔いであると共に、この悲惨を伝えねばならない、という強い決意の表明でもあろう。

 四月号で採り上げた『詩創』宇宿一成ソネットは、川内原発の再稼働への不安と暗鬱な予感を描きつつ、フクシマへの祈りを重ねている。六月号『潮流詩派』麻生直子「黒の排泄物」は、実際に現地に取材した際の放射性廃棄物の印象を言葉に留めた作品。同じく六月号で採り上げた原田勇男「永遠を見つめる羊」玉田尊英「木は秋を」(『THROUGH THE WIND』)は、被災地に実際に暮らす詩人が、未来を見据え、これからを生きていく決意をうたっている。八月号で採り上げた『熱気球』『とんてんかんもまた、言葉が困難を乗り越える勇気を与えてくれることを示してくれる詩誌だと思う。十二月号で紹介した『左庭』岬多可子「すべて溶かして香る土」など土の三部作は、離農などの社会問題や、土から離れて生きる文明そのものにまで視野の広がる普遍性を備えた作品だが、汚染土の問題と浄化への祈りが、色濃く反映しているように思われてならない。

 直近に届いた詩誌の中では、『山脈』第一四号江口木綿子のエッセイ「牛飼ひの言葉」が印象に残った。警戒区域内で、「国による度重なる退去命令、殺処分を頑として拒否」し続けている牛飼い吉沢正巳さんの言葉を紹介する一節。「うちはここで牛を生かしている。この牛は全部、じゃまものとして国から捨てろ、殺せって言われてんだ。〈生きた瓦礫〉って言われてね。売れねえ牛を事故から五年も経ってなぜ飼うか。おれたちはくるってるのかもしれない、ばかげてんのかもしれない。でも、すべて経済で割り切ろうとする世の中のものさしに対して、命というものさしだってあるだろう?」立ち入り禁止区域内の牧場では病牛が増えた。東北大医学部などの協力を得て、その原因や放射能との因果関係を調べる研究も進んでいるという。「命というものさし」という一言が持つ意味を問うことこそ、詩人の仕事ではないだろうか。

 社会性という課題は、政治や経済に関わる問題だけではない。『石の森』百七十四号高石晴香「母親神話」は、良き母であろうとして「母親だから」という言葉に追い詰められていく女性の心理を描いている。「何も持たずにここに来た/与えてくれることを信じて/いいことも 悪いことも/何も知らない/何もわからないから/すべてが正しい」という冒頭の一節は、頑是ない幼子の行動に寄り添った言葉だと思う。社会的な正誤、善悪を知らない幼児は、好奇心のままに突拍子もない行動をすることがある。「何ひとつ思うようにいかないことに/イライラが止まらない/わきあがる気持ちが止まらない」「声も動きも好きなはずなのに/聞くだけでなぜかムカムカして//もう何年/まだ何年/あと何年?」孤独な子育てを強いられる「母」の心理を率直に描いた作品である。

国際性

 海外詩の翻訳紹介を、多くの詩誌が積極的に取り入れていることに国際的な視野の広さと教養の幅とを感じることが多かった。三月号『Auroraウィリアム・スタフォードの詩は、良心的兵役拒否をした者の内面の孤独を描いていて胸を打つ。一二月号『北五星』『孔雀船』『禾』『舟』などで紹介されている中国や韓国の詩作品は、詩人たちがアジアの隣人と地道に交流を続け、市井の友情を育んでいることを伝える。他者を、異文化を理解しようとすること、友情を保とうとすること、その交流を途切れさせないことが、平和への礎となる。『長帽子』七六号田村さと子のエッセイ「セーサル・バジェホの故郷への旅」は、ペルーの国民的詩人バジェホに関する国際会議に招聘された時のことを綴っている。町の入り口に〈詩の首都サンティアゴ・デ・チェーコ〉という横断幕が掲げられている、という一節に驚かされた。町ぐるみで詩人を記憶し、語り継いでいるのだ。

 国際理解ということに関していえば、子供のうちから様々な国の文化やライフスタイル、宗教などについて学んでおくことは極めて重要なことのように思われる。前田君江『千夜一夜レター』は、中東の絵本を翻訳紹介する冊子。絵本のカラーコピーに仮訳を付け、作家紹介や絵本の背景の紹介をしている。ラマダンなど、日本人には馴染みの薄い宗教的習慣などを伝えてくれる意義は大きい。五号は、トルコの絵本作家、フェリドゥン・オラル『ちがうけど そっくり』という絵本。前足の障害で歩けない山羊が、山羊飼いの工夫で車いすを作ってもらい、皆と同じように山の牧草地を駆け巡り、やがて家族を持つに到る、という物語。日本の山岳風景にも似た懐かしい景色と普遍的な内容が、丁寧に描かれる。

地域性

 詩誌評を担当することになって、共通語しか知らない筆者が期待したのは、その地で生れ、長い時間をかけて育まれてきた地域特有の言葉、いわゆる方言や地方特有の風俗、固有の歴史に触れた作品との出会いであった。しかし、全国から寄せられる詩誌には、「お国言葉」の詩は予想外に少なかった。絶対数が少ない、ということも影響しているが、言葉の面白さや響きの珍しさに眼目が置かれ、詩作品としての深みに不満の残るものも多い。響きの新奇さに頼るのではなく、生まれ育った土地の言葉を用いねばならない必然性というものを感じさせる作品として採り上げたのは、九月号『ネビューラ』山下耕平「どしこどん」十月号『二人』粒来哲蔵「うまぐねぇ蛙」PO』原子修「どったらの木」など数篇に留まる。

 この問題に関して、非常に重要な提言をしている論考を紹介したい。宮古島文学』第十一号新城兵一による「沖縄―現代詩の現在地点 その詩的言語に対する熾烈な自意識」副題「松原敏夫『ゆがいなブザのパリヤー』・市原千佳子『♂♀誕生死亡そして∞』を読む」である。全体で六十ページを超える大部の論考は、自らの批評言語への真摯な問いかけと、沖縄の詩と詩人への強靭な愛情とに裏打ちされた厳しい自己批判に満ちていて、深く納得しながら読了した。

 新城は、「本土」の読者に対して、「(自分たちの)趣向と理解の水準に見合った「沖縄イメージ」を追い求め、無意識の審級の眼として、沖縄の詩人たちに「独自」にみえる「沖縄イメージ」を期待し、「要求」し続け」てはいないか、という根源的な問いを提示し、他方、沖縄の詩人たちには、本土の眼に対して、無意識的な〈期待と饗応〉の関係が生じていないか、と自省を促す。

 オリジナリティーの探求として、方言も取り込んだ修辞的な工夫を凝らすことを「詩的言語の習慣的な用法や、ありふれた喩法、ことばの既成性などを打破して、新鮮な言語の躍動と活性化を目指す果敢な試み」として重要視しつつも、修辞的な技術に頼りすぎることを是とはしない。

 そして、修辞的な技法を駆使しし、言葉にならない「空白」へと逸れながら収斂していくような松原の詩的道程を「拮抗しあい矛盾する危険でスリリングな境域を通過しつつある」と温かく見守ると同時に、故郷に戻って詩作を続ける市原千佳子の独自性を、「池間島(沖縄)の古俗の心意世界の現代詩の言語への翻訳―その換喩的方法の結実」に見るのである。

 新城の論考を読みながら、粛然とさせられた。「本土」の読者である筆者の内にも、未知への好奇心や、新奇なものへの嗜好といった浅薄な感情、地上戦の悲惨を経た上に基地問題に揺れる沖縄に対する(語弊を恐れずに言えば)「同情」「申し訳なさ」といった心情が無いとはいえない。だが、同時に……四月号で触れた「妣たち」の国の祖型が、沖縄など南西諸島には、まだ残されているのではないか。日本が、環太平洋造山帯の一隅を成す島国である以上、そのもっとも根源的な祖型が、島の古俗に生きているのではないか、という幻想に近い憧憬もまた、間違いなくあるのである。それは沖縄に限らず、「イザナミ」として表象化された「山姥」物語への個人的興味にも連なるものであるが、論旨から外れるので、この問題はいったん脇に措く。

 ここでは、新城のオリジナリティーを巡る議論が、現代詩そのものが抱える問題とも直結していることに注目したい。

 新城の論考を読みながら、思い出す言葉が二つあった。一つは、「誰かがこれなら僕だってつくれるよ、と言うなら、それは、僕だって真似してつくれるよ、という意味だ。でなければ、もうとっくにつくっているはずだもの」という、ブルーノ・ムナーリの言葉。もう一つは、「フロイトについての会話」の中でヴィトゲンシュタインが記した「私の独創性……は土地の新しさにあって、種子の新しさではない」である。

 言語表現の修辞的な新しさ、文体や詩形の「進化」あるいは言語領域の拡大は、外形的な目新しさに注目し続ける限り、それは「真似をすればできる」範囲のものであって、口語自由詩の百年の歴史を顧みるとき、一通りのことはやり尽くされた感がある。しかし、人が生まれ育ち、生きていく土地、時代、そこで得る知的・身体的体験は、その人個人に付随するものだ。いわば、土地の新しさ、である。詩想というものがある種の普遍性を持ち、「種子」として存在し続けるなら、詩作品の独創性や詩人のオリジナリティーは、進化の結果の新奇さにあるのではなく、むしろ個人の土壌を掘り下げていく「深化」にこそ、求められるのではないだろうか。

 従来の詩形や文体ではどうしても表明し得ない、その表現意欲の切実さが、旧来の詩形を、いわば食い破るとき、そこに新しい詩形や文体が生まれるのであって、その逆ではない。もちろん、新しい詩形や文体を目指す言語実験や表現上の工夫を繰り返す中で、自分の表現し得なかったものを容れる最適な器としての文体を偶発的に発見する、ということが起きる可能性も否定できないが……。新城の議論に即していえば、外部の目を意識して新奇な作品を構築するのではなく、自分自身のルーツを探ったり、生まれてから今までの人生の中で得た知識や体験を積み重ねていく中から生まれ出た文体が、結果として「沖縄的」であるならば、むしろそこにこそ独創性が存在すると言えるだろう。結果として地域的な、個人の特色の濃い独自性の探求こそが、肝要なのではないだろうか。

 いささか、結論を急ぎすぎた。地域性という問題に戻る。詩誌『ドルフィン』一号、二号広瀬弓が記している、沖縄久高島の祭り「イザイホー」への興味や、民俗学に取材して描いた「アカラムイ」などの詩篇は、共通語圏に居住し、独自のパロルとしての「お国訛り」「ふるさとの習俗」を持たない者が、人生経験の途上で得た新しい土壌から汲み上げた作品と言えるだろう。九月号で紹介した『イリプス』八重洋一郎「まゆんがなす」は、祭りの場に立ち会うような臨場感とリアリティーを読者に提示する。こちらは、自らのルーツを掘り下げていく過程で出会った体験だろう。先ごろ届いた詩誌の中ではアリゼ』一六八号飽浦敏「帰路を忘れる」が印象深かった。「諸々の事情に疲れた県外の児童」を預かる、「受け親制」がある、という島。ゆったりと流れる南の島の時間が丁寧に描かれる。心身を傷めた子供たちの、癒しと再生の場所としての島は、異国であると同時に根源的な故郷である「常世」のイメージに、限りなく近い。「マイフナーマリリヨー」(立派な人になるんだよー)という島言葉による呼びかけは、不思議な呪文のような柔らかな響きとして読者にも届けられる。直近に届いた『潮流詩派』二四三号「沖縄特集」を組んでいることも、書き添えておきたい。

 習い覚えた「お国言葉」で詩を語る、という難題に挑戦している詩にも注目したい。六月号で紹介した『ミて』新井高子「百尋」群馬県桐生に生まれた新井は、東北弁の使い手ではない。被災地のボランティアで習い覚えた言葉や、遠野の昔語り、日本の古典芸能などから作り出した、いわば疑似「東北弁」で、独自の語りの世界を作り出している。習い覚えた言葉を使う時のためらいや戸惑い、「正しい」のかどうか、という疑問が常在する中で詩を紡ぐ、という行為は、自分の用いている言葉に疑念を抱きつつ語るという矛盾を孕むことになる。覚えたばかりの外国語で何かを伝えようとするときのエネルギーや、片言の言葉で語ろうとする幼児のエネルギーを詩に呼び込もうとする試みとも言えるかもしれない。

 東北地方の言葉に残る風俗や歴史を、連載的に書き留めている作品もあった。星野元一の個人誌『蝸牛』四九号「ふろしき賛歌」で描かれるのは、自宅での結婚式を「透き見」に行った、というおおらかな光景。五〇号「サルだった日」では、稲架に用いられた木が、東京が見えるほどに高くなったことに由来するという「トウキョウダ」と呼ばれた木を巡る思い出と、木に登る(憧れる)ことと現実との落差を、幻想の景を取り入れた余韻のある詩句で綴っている。

思想、新動向

 年間を通じて、書評や詩論、批評に優れたものが多く、豊かな時間を得ることができた。『エウメニデス』四七号から始まった京谷裕彰平川綾真智によるシュルレアリスムは、膨大な資料を基に、現代における様々な錯誤や思い違いを糺し、シュルレアリスム運動の原初の姿を浮き彫りにしつつ、改めてそこから我々が学びうるものは何か、ということを意識的に問い直そうとする、スリリングな論考。現在進行形の議論のさらなる発展を楽しみに待ちたいと思う。

 『喜和堂』第三号における連詩の試み(野村喜和夫捌き)や、鈴木漠らによって継続されている、連句によるソネットなどの現代詩の創作(『おたくさ』)、『あるところに、』Lyric Jungle『ウルトラ』等での俳句や短歌とのコラボレーションなど、領域横断的な試みが多数見られたことも特記したい。詩と写真とのコラボレーションにも、魅力あふれる物があった。(十月号『イリヤ十二月号『梨のひとり、ごと』

 年齢は詩誌では明らかでないが、ベテラン勢と思われる詩人たちの「深化」に心揺さぶられることが多かった。若手詩人の「進化」は、時代を表象するアイコンを鋭く切り取り、ミュージックビデオのように目まぐるしく並列していくことによって、多彩かつ流動的な世相を捉えていくものが多い。「饒舌体」が増える所以でもあろう。その中でも、七月号海東セラ九月号紺野とも黒崎立体など、多くの若者が「進化」から「深化」への道を歩んでいることに注目したい。

 一年間、読んで下さった皆様、詩、そして詩誌に、深謝。