詩の中庭

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『青売り』椿美砂子詩集(土曜美術社出版販売2021.6.11)感想

  薄氷を切り出した薄片に青い血が滲み広がっているような、中川セツ子による印象深いカバー装画。詩集タイトルは漢字を英文の筆記体のようにデザインしたユニークな書体で、金の箔押しとなっている。文字デザインは長野美鳳。カリグラフィーの素養のある方なのだろうか、いずれも著者在住の新潟に縁の深い芸術家のようだ。本文用紙は一般に詩集に用いられることの多いクリームキンマリではなく、真っ白な上質紙を使用している。薄曇りの空のような帯色、カバーから覗く白群のような明るめの本体表紙、そして青――縹色の見返しに至るグラデーションが美しい。

 爽やかで上品な装幀が予感させる通りの、透明感のある清らかなイメージに乗って展開していく詩集である。内容は自らを切り分け他者に手渡していくような痛みの受容から光の中へ、解放と希望へと至るもので、軽やかさよりは重さをより強く感じさせるが、語り口の明確さやユーモアのゆえに停滞するような重さからは免れている。感覚や感情を正確な比喩に置き換えていこうという意欲に反比例するかのように、具体的な事象や状況の描写は抑制されている。そのことが時にもどかしさともなるが、それがまた繰り返し読む動機を読者にもたらしている。見上げた青空と心中に潜む湖が重なり合う一瞬、自らの苦悩の吐露となることを慎重に避けながら、水底から掬い上げた思いを言葉に変換する決意が全体を統べていると言えばいいだろうか。

 

 冒頭の「青売り」は、他者の話を傾聴する語り手の姿から始まる。〈人の佇まいや声が色づいてみえるのはわたしの性質(たち)だ〉という語り手はカウンセラーや介護に従事する女性の姿を想起させるが、専門職としての具体的な事象への言及はない。鋭敏な心を持つがゆえに様々な苦悩や吐露の聞き手とならざるを得ない、そんな人柄であるのかもしれない。〈わたし〉は共感しながら相手の話を聞き続けるが、〈一方的なお話が終わり〉無言がしばらく続いた後、相手は〈こんなことを頼むのはどうかと口をもごもごさせながら/無神経だとあきれないでほしい 口をそろえたようにいう/ あなたのその青を売ってほしい〉と懇願する。驚きも慌てもせず、〈いいですよとその人の前で/わたしの青を切り刻んでいく/金色の華奢な糸切鋏でなるべく痛くないように丁寧に切る/わたしの青はどれくらい残っているのだろうとか/最近は切った直後の鮮鋭な痛みも治りかけの鈍い痛痒も悪くないとか/ぶつぶつといいながら切り刻む〉・・・

立ち上がってくるのは、薄い花びらのような皮膚を幾重にもまとい、透き通る長い髪をなびかせている青空の女神のような女性だ。切り取った〈青〉は握りつぶすと血もしたたるという。なまなましいリアリティーに驚くが、その〈青〉を奪い取るように持ち去る人、ためらいながらおずおずと受け取る人、ばつが悪そうに立ち去る人など、受け取り方も様々だという人間観察も面白い。人の色が見えてしまう語り手は、〈みんなとても美しく輝いた青い色を持っているのに/どうして気づけないのだろう/どうして余計なものをあんなに欲しがるのだろう〉とひとりごちる。青が暗示するものはなんだろう。

 自分の色は自分では見えない、それもまた象徴的だ。〈遠い昔にわたしをみてあの人が教えてくれた〉自分の色は、〈それはそれはいい匂いがしてやさしい綺麗な瑠璃色〉なのだという。しかし語り手は、その美しい青を持っている、ということだけでは飽き足らない。この詩は〈でもわたしは遥か空の真ん中の永遠のそのまた永遠がほしかった/あまりにも眩しい場所で生きていたから/ひかりのなかでひかりは探せなかったから/わたしのつくった闇でこれからわたしのひかりを生むために/それがどんなことでもよかったのだ〉と閉じられる。他者がうらやむような〈ひかり〉の中にいる――幸福な場所にありながら、青の中の青をどうしても求めてしまう〈わたし〉の生き方を肯定的に受容する姿が印象に残る。

 他者の幸せや優しさをうらやみ、それを欲しては無遠慮に消費していく社会と、それを自らを切り刻んで与えてしまう人の関係は、吉野弘の「夕焼け」に描かれた少女と、それを見ている書き手の関係を彷彿とさせる。書き手は自らを切り売りする人であると同時に、それを見つめ、見守る人でもあるのだ。詩の中の〈わたし〉の感覚を感じながら、同時にその観察者でもあるという語り手の立ち位置の獲得が、具体的な事柄の説明や描写をすることなくリアリティーのある物語を成立させている。

 続いておかれた「白い部屋」もインパクトのある作品だ。〈この部屋はしあわせにしてくれるよ〉と〈たいせつな人がささやく〉空間とはどこだろう。病室の描写だろうか。社会から隔絶された家庭空間の暗喩だろうか。この〈白い部屋〉の中で、〈わたし〉の耳がもげ、目が落ちていく。感覚の麻痺、あるいは感受からの遮断。それが〈きのうにはとうとう足にまできた/左足の小指だった/もうしばらくしたら歩けなくなるから/いつまでも歩いた〉・・・他者の話を聞くことから生じる自らの痛みは、自身を麻痺させていくことでしか癒しえないものなのだろうか。「夜は眠るだけ」という作品も、右手がなくなり、舌がもげる、という身体的な比喩を通じて鈍麻していく感覚を直接的に伝えてくるが、〈たいせつな人に/朝は湯冷ましをのませてもらう〉という一節は、なんらかの闘病体験をも暗示させる。

 部屋のイメージで関連する「鳴るなるくん」も、ユーモラスな筆致ながら意味するところは重い。暗号の記された壁のある部屋で過ごしているうちに、語りかけてくる声として表れたもう一人のわたし――いわゆるイマジナリーフレンドだろうか。疲れ果て、消耗していく〈わたし〉に、幼子の〈わたし〉を再び呼び戻してくれるキーパーソンのようでもある。〈からだからあふれるほどの暗号だけが/埋み火のままだ〉という一節には、不完全燃焼のまま壁に取り囲まれた空間にいるような〈わたし〉の思いが渦巻いているように思う。

 白い部屋は、自らの心を守るために外界や周囲から遮断して自らの心のうちに作り上げた部屋、なのか。実際に(物理的に)存在している障壁なのか。〈人生を楽しんでよと殴り掛かる〉人が〈わたし〉のもとにやってくる、という「殴られて」も、「青売り」の痛みに通底するものがある。言葉や関係性による心理的な殴打とも読めるが、〈煙草の火を押しつけられて/愛に襲われたのだと思えと/八つ当たりされてはまた殴られる/君は無力だと知れと殴られる〉というような表現の具象性は、実際に何らかのDVなどを受けていた、あるいは受けていた人に過剰に共感し、自らの痛みとして感じてしまう結果として浮上してきた比喩であるようにも読み取れる。寓意的多義性の方向に向かいたいのか、自分自身もしくは他者に成り代わっての具体的な告発の方向に寄せていきたいのか、今後の作品の方向性にその解答が現われてくるのかもしれない。

 

 書くことが生きることでした、という「あとがき」を読みながら、ファンタジー世界の方が鮮明で実生活の方が朦朧としているような日常感覚を抱く私自身の体感と重なる部分もあり、共感を覚えた。心象感覚とでもいうべきものを他者に伝えよう、伝えたい、と考えるとき、心眼や幻聴的感覚を“忠実に”描写する写生的方法や身体感覚に落とし込んで、その感覚を描写する、というような方法を試すこともある。身体的リアリティーが心象風景をリアルに体感させる豊かさにつながると同時に、具体的、現実的背景を知りたいという好奇心や探求心を刺激してくる詩集でもあった。あるいは、詩作の背景はもっとシンプルなことかもしれないが。

 たとえば創作を欲望する〈わたし〉を自ら〈白い部屋〉に閉じ込めている生活者の〈わたし〉と、書き手となって〈わたし〉を開放しようとしている〈わたし〉。その関係性を体感やロジックで描写しようとしたときに選択される、生々しさや具象性を伴う比喩。

 「森へ行く約束」には、未生の世界へ遡りたいという創作の源泉への意欲が映し出されているように思う。「六月はあなたのうまれた月」も、実際に子供や恋人の生まれた月、と読むこともできるが、母と子、妻と夫、生活者のわたしと詩作を始めたわたし、様々に読む余地を含んだ作品である。

 「ひとりっこ」という散文詩には、作者自身の生涯が投影されているようにも思う。ここで語り手に触れてくる白い指先を持つ人とは、何者なのか。守り神のような、他者には見えない人なのか、記憶の中の肉親であるのか。ひとりっこ、の罪深さ、とは何か。いいこでいる、とはどのようなことか。具体性の表出に向かいたいのか、象徴性の方により昇華させていきたいのか、寓意性をどこまで発揮するのか・・・他者に共感していくという迂路を経て、ようやく自らを見出そうとしているのかもしれない。

 詩集掉尾に置かれた「もう十号室になんていかない」は、〈わたしは詩だから〉と言い切る〈わたし〉と〈ひかり〉との対話だ。具体的な病室を暗示するような言葉のインパクトと、その部屋にはもう行かない、という決意表明のようなラストの強さが印象に残る。その〈部屋〉での幻視体験のような〈森のなかのおおきなバスタブ〉のイメージ、夢の中で告げられる「美砂子さん、あなたは死んだのよ」という言葉。死後の世界、未生の世界への回帰とそこからの帰還・・・生まれ直しの作品だといえるかもしれない。詩の終連を引用して、この感想を終えたいと思う。

 

 目がさめたら

 わたしはひかりを手にしていた

 いまもこの指にまきつくひかり

 みえる もうきえない

 わたしが生きていることが詩だから

 言葉に不意に抱き締められそうになるけれど

 死んじゃうことはこわくない

 ただ あの時あの部屋で

 死にたくなかっただけ

 十号室はかなり優しい

 夜目にみえる鈍いひかりのような

 あまくて優しい地獄だった

 

 もう十号室になんていかない