詩の中庭

日々の読書、詩集や詩書の書評、覚書など。

『よろこびの日』和田まさ子詩集(思潮社2021.6.30)感想

 藍色から浅葱のグラデーションを経て白地に青の幾何学模様と山吹色の光。朝の訪れを連想する装画が美しい(装幀・装画 井上陽子)。

 

 帯に〈生きて帰ってきて さて、どうする〉とある。大病から生還したのだろうか?目次を見ると四章立て。一章の章題「苦い蜜」と四章の「どこかで歌っている」は収録詩篇と同題だが、二章の「9つのメタモルフォーゼ」と三章の「芙美子のいるところ」は独立した章題となっている。読み終えて、何冊もの詩集を読んだような読後感があった。それだけ凝縮されているということだろうか。都市…といっても摩天楼の立ち並ぶビル群という感覚ではなく、郊外の住宅街のイメージが残る。街角、木々の影に死が気配として姿を現していて、しかも語り手自身に…たとえば余命宣告を受けた、というような…差し迫った死の危機感があるということではない。コロナ・パンデミックの影響が靄のように街全体を覆っている、その下で日常生活を送る語り手の視点が印象に残るが、語り手の内部に視点が固定されていない。書く主体が肉体から抜け出したり戻ったりするように揺れ動きながら、書き手と書き手の居る街やそこに住む人々との関係性を描きとっているように思われる。

 冒頭、「安心して会う」。会う、といえば、たいていは今、生きている人と、今、居るところで会うのだが…。

 

地図を見ればわかることがある

ベラルーシ料理店ミンスクの台所は

ロシア大使館のすぐそばだ

地図を見てもわからないこともある

わからないままにして

二〇二〇年

生き延びる方法がどこかにあるはずだと

路地にも入り込んで一軒一軒探している

ベラルーシでは

女性たちがフライパンをおたまで叩きながら抗議をしている

 

一連を引いた。一定の速さで歩行しているような進行、明確に言い切る語尾が小気味よいリズムを生み出す。地図で見たとき、ベラルーシ料理の店がロシア大使館の〈すぐそば〉にあるという符合に反応する書き手。共に強権政治が問題になっている国だという連想からだろうか、あるいは今はコロナ禍だという意識が浮上したのだろうか、〈生き延びる方法〉という不穏な言葉に飛び、実際に街中で店を探す景、さらにはネットニュースなのかユーチューブの画像なのか、特に説明のないまま女たちのデモの光景に飛ぶ。まっすぐな経路ではないが、一行一行は何らかの関連で連結している。一行から辿り得る複数の経路を、あえて進む人の少ない経路を選んで進んでいくかのようだ。それが予想外の飛躍を繰り返しながら進んでいく面白さとなって感じられる。

二連目は〈練り上げた羽二重餅のような声で/「私も料理をつくりますよ」と〉始まる。いま、そこで話している声を聴いているかのような表現。ベラルーシの女性の言葉かと思いきや、〈芙美子は女子高校生に話している〉と飛躍する。レストラン、フライパンとおたま、からの〈料理〉の連想だろうか。芙美子と女子高生の〝会話〟は〈人と会わないことが日常で/しばらくぶりに会ったら人が変わっている〉という二行をはさみ、〈そういうことが/過去の人にはないので/安心して会える〉と続く。会う、からの連想だろう。安心して、という言葉の持つシニカルな面白さ。今、生きている人と会うのは緊張を強いられることなのか。三連目は〈この家の女主人がこだわった台所の/東芝製家庭用冷蔵庫第一号機が白くてモダン〉と展開する。〈台所と洗濯場のあいだを抜けると/庭/細く入って広い場所にでる/いい風が吹いて新宿区中井、ここもそうだ〉ああ、林芙美子記念館、と納得しつつ、細く入って広い場所に、という表現の的確さと面白さに驚く。台所と洗濯場、という機能を持つ場所の間を抜けていく、という動きを別の階層から見れば細く入って広く出るわけだ。ここも、という言葉が含むのは、他にも同様の場所がある、ということ。細く生きて広い場所に出ることもあるかもしれない。四連目は〈戦後七十五年/フライパンの使いみちは/思いの外にある〉ベラルーシの女たちの怒りと林芙美子の怒り。75年の時差を越えて、どこかほほえましく騒々しい響きがパチリと噛み合う。

 

 和田の詩は、どの詩も一見すると予想外に見える飛躍や転換を繰り返しながら進行していく。その驚きや面白さに思わず立ち止まってしまうので、なかなか先に進めないのだが、躓くほどの違和は作らない。歩行のリズムのゆえんだ。それぞれの行は何らかの関わりを持って連結されてもいる。たとえば「冬に必要なもの」。〈都会の敷石の凹凸につまずいて/小さな穴に出たり入ったりする〉これは日常でもよく出くわす出来事だが、〈一月の感情生活〉というフレーズが続く。一日の些細な感情の起伏をどのように表そうか、という探索が穴ぼこに足先を踏み入れてしまったときの感覚と落ち込んだり浮上したりする心理的感覚を結び付けるのだろう。その連結は、自身の感覚を外から他者のように見る感覚が支えている。「魅力的な穴」では、〈他人と出会わない方法〉として〈カニの穴に入りたい〉〈穴が魅力的だ〉と記される。〈生きのびるために顔の筋肉を発達させる〉日々。他者にうまくなじめず、できれば隠れていたいという〈ココロの機能〉はしかし〈からだは揺れるほどすばらしくなるとわかっている〉という確信によって明るさの方へ向けられている。

 〈学習し、簡単に忘れる人として/歩いてきた。予行練習が/いつから本番になったのか/知らないうちに/話が成長して、上手につまらない人間に成り果てる/という役回りだってやってのける〉(「この町のルール」)というようなエスプリのきいた捉え方は、自分を外から観察する者の眼によって培われる。生きるのに不器用で、〈多くの時間/ジンセイのヨロコビからは遠い〉という実感や〈なに一つ人に貢献していない〉(「きょうの姿勢」)というような倫理的なつぶやきまで湧いてしまう生真面目な人間にとって、何事もなく生きる、ということ自体がほっと心を休ませてくれることなのだろう。タイトルポエムの「よろこびの日」には、〈一日の移動で/他人を困らせなかった/生まれてきたことを後悔しなかった〉というフレーズのあと、一行アケの空間を取りつつ〈よろこびの日かもしれない〉と慎重に記される。手放しのよろこびではない。一日を無事に終えた自分を外側から見て、これはきっとよろこびなのだ、そうなのかもしれない、と自らに向けてつぶやくのだ。

 

 今生きている人のようにして、林芙美子の影がたびたび現れるのも面白い試みだ。過去の人との対話、ということが詩集全体に通底しているのだが、それは見えている部分の一枚向こうの階層で進行している。最上層はコロナで〝生活様式〟がすっかり変わってしまった現在。日々を過ごしていく中で(暮らしていく中で)感じること、思うこと、ちょっとした違和を、丁寧に拾っていく。正面からとらえようとすると取り逃がしてしまう気持ちを、少し別の角度、少しずれた場所からとらえて、言葉にしてみる、その言葉からまた新たな連想へと線を引く、そのように詩集は進行していく。

 全体をスムーズに見通せない詩集でもあるが、その中で不思議にストーリーが鮮やかに立ち上がってくる譚詩めいた詩が一点あった。「もあもあの家」は写生詩ではなく幻想体験の詩だ。誰もいなくなった実家を訪れると、かつてこの家で暮らしていたものたちが〈もあもあ〉と現れる。ひな祭りの食卓のようにおいなりさんや干瓢巻きが用意され、〈わたしは/まだ明るいから/生姜がおいしいから/全部食べてしまう〉と言い訳をする。冥界の食べ物を一口でも口にすると地上には戻れなくなる…ペルセフォネーの神話をちらりと思い浮かべたのだろうか。息を深く強く吐いたら幻影の〈おばさんが消えてしまう気がして〉そっと息を吐く、というくらいだから、むしろ書き手は積極的に幻影を見よう、出会おうとしているようにも見える。日常を気づくまま、感じるままに記していく詩はストーリーとして連続せず、連想で紡がれていくのに対して、死者と出会った体験を記憶し、思い出して意味づけ、語ろうとするときにはストーリーとして再構成される、ということだろうか。

 

 コロナ禍は、隠されていた死を対岸での出来事のように、しかし明確に存在するものとして映し出した日々でもあった。ニュース報道で大量の死者が埋葬されていく(間に合わずに共同墓地に仮埋葬される)状況を〝目撃〟しているのに、リアルな実感がわかない。その期間の体感を描きとるように紡がれた『よろこびの日』は、明確にコロナのことを書いているわけではないが、端々に今の状況を書き留めている。たとえば〈巣ごもり〉という言葉が出てくる「観察の仕方」は、タケノコがにょきにょきと顔を出している景から〈期待とか悲嘆〉が突出する様に連想を飛ばす。気持ちや心の〝みえる化〟を行っているようだ。終行の〈古い未来が待っている〉という一見すると矛盾する表現も、過去のスペイン風邪、ペスト流行といった過去との既視感が濃厚なコロナ禍の日常を思わせ、思わずうなずいてしまう。〈袋掛けした梨が下がるように/死は袋掛けされて/目の前にいつも用意されているのに/気づかない〉(「きょうの姿勢」)というのも、コロナ禍の実感だろう。果物が育っていく姿からの連想に、リルケの熟れていく死のことも思い合せる。

 駅で乗り間違えたことから〈なかなか生きるに到達しない〉(「到達しない」)と飛躍したり、〈ほんとうに生きたのだろうか/男といて/ほんとうに人間なのだろうか〉(「対岸の人」)というような問いかけが現れるのは、常日頃から生きるってなんだろう、どんなことなのだろう、という疑問が胸の内でくすぶっているからだろう。こうした疑問を引きずるのはしんどい。たいていの人は問うことを棚上げにしたり抑え込んで忘れている、忘れたふりをしている。〈あの人には/錆が出ている/といって/わたしを通り過ぎた人がいる〉(「正確にいえない」)これも空恐ろしい一行だ。

 しかし死を意識化して過ごすことは、生きるということの実感を際立たせることでもあるかもしれない。小さな、しかし確かな〝今〟の感覚を読んでいると、私はこの時、どうしていただろう、とか、確かにこんな場面に遭遇したことがある、その時、自分はどう感じていただろう、という問いかけにいざなわれ、生きていた、というリアリティーを呼び覚ましてくれる。読むたびに惹かれるところや問いたくなるところが違う、ということにも驚きがある詩集だったが、それは問いかけが読む側の心理状態や状況に応じて変化するからだろう、雲の具合によって光線が変化し、時間によって同じ花が異なって見えるように。

 

 「朝はなんども」にとても美しい情景が描かれている。〈国分寺の陸橋で/下校の子どもたちが円座を組んでいる/この世の縁側でにんげんの形でいることは/蜜柑のように金色を放つことだ〉続く作品は、〈家を出る/コンビニを出る/そのように肉体を出るのだろうか〉という問いかけから始まっている。生を明るませるものとしての死。静かな受容がそこにある。