詩の中庭

日々の読書、詩集や詩書の書評、覚書など。

鹿又夏実詩集『点のないハハ』(2022.10.25書誌侃侃房)感想

 詩集題名に〈ハハ〉が入っているが、いわゆる母もの、あるいは母と子の葛藤を主題にした私小説風詩集・・・ではない。象徴化されたハハ・・・母から(乳房の象形とも言われる)〈ヽヽ〉を抜き去られた〈ハハ〉は、そもそも語り手の内にあった母、記憶の中の母であり、母とは何か、という自問自答の先にある観念的な母であり、自分の肉体を生み出すものとしての生身の母である・・・以上に、己の精神、意識を生み出す自我の母体としての母、でもある。

 表題作に続いて「うつわ」という詩が置かれているが、生身の人間が母というペルソナを身に着けた折に自ずから引き寄せてしまう社会的通念としての〈母〉や、作者自身の母子関係を基底とした個人的な〈母〉の“かたち”、“あり方”といったものへの反省が見て取れる。母を拾う、という印象的な“行為”は、社会人となり母と子という関係から離れて人間同士として相対することができるようになった語り手が、母たるものを客観視するようになったことを実感させる表現だ。

 巻頭に置かれた「よろこび」や「雨の言霊」に現れる〈僕〉と〈妹〉あるいは〈イモウト〉。多様に読むことができるだろうが、私は詩を綴る主体、自我の主体としての〈僕〉と、肉体を持ち、実際に日常生活を生きている語り手自身を〈イモウト〉として読んだ。生身の自身からあえて離れること。詩を生み出していく過程で、語り手は〈母〉をもまた、そのように客観化し得たのだと思う。そのようにして外在化された〈母〉が、再び詩の書き手である〈僕〉を生み出す存在として内在化され、内にあるものとして捉え直される、そうした精神の営みが感じられる。〈僕〉の設定が奏功しているといえるだろう。

 そうした〈母〉たるものの客観化は、作者の心身に傷を生じさせることもあったろうし、日常生活のストレスが傷となって積もっていくこともあるだろう、その傷を見つめること、そこから回復していく自身を見つめることもまた、この詩集のひとつのテーマとなっている(「いたみ」など)。我と我が身を一度、葬ったかのような「記憶の影」。他者の苦悩や淋しさを汲み上げていくようでいて、自分自身をつかみ取り、保存するような「新子安の冷蔵庫」。他者の声と共に、自分自身の声をも聴き取ること・・・それを一つの創作の要として見出したような「水底」は、オーソドックスな表現ながら、特に優れた作品だと感じた。母、のイメージから広げて母音へと至り、人と人の関係から土地の関係、歴史的時空の関係へと想像を膨らませた「沖縄慕音」も、視野を広げる一篇として楽しく読んだ。

 記憶や体験の客観化、反省、回復、そして“声”の聴き取り、創作という道が光って見える詩集だと思う。

点のないハハ

点のないハハ

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添田馨 詩集『獄門歌』(思潮社 オンデマンド2022.7.1)感想

獄門歌、Song of Prison Gate、と日本語と英語の題名が並んでいる。うっすらと何者かが現れ出ようとしているようなモヤモヤとした白地の上に、インパクトのある文字が詩集の“顔”一面に配置されている。目の錯覚のように中央に長方形が浮かび上がる表紙は、半透明の四角い門がそこに口を開いているようにも見える。

目次を開く。一章は「獄門歌」。「ヒットレルが死んだ」「贋物のボナパルト」など、歴史に着想を得たとおぼしい作品が並んでいる。二章は「弔言歌」。「戦争」「死刑」「暗殺」「自殺」「粛清」……物々しい題が並ぶ。「自殺」のページを最初に開いた。

〈私はこれが自殺でないと証しだてるため/事後の良心でこの遺書をしたためる/上部構造による他殺だと指弾するため/私自身を殺してみせる〉〈邪心を合法的に栽培しつづける国で/へらへら笑う逆向きの首を/私は見た(いや私だけが見たのだ)〉(私だけ、に傍点)〈黒い霧は記録文書の一字一句にまで浸透し/汚れた支配者が聖別され/罪なき公僕が改竄犯に貶められた/上からの指示で職務規範は破壊され/すでにして私の背中は/官邸の未必の殺意の標的だった〉……赤木俊夫さんの名が浮かんだ。だが、繰り返される〈私〉のインパクトは、他者が散文で〈官邸〉を批判する際の、どうしても超えられない“縛り”を超えている。今までにも行われ、これからも行われるかもしれない蛮行に対する“私”の憤り、“私”の告発は、語り手の単独のものであると同時に、不正を強いられ心ならずも命を落とした者たちの複数の声でもある。一定のリズムで叩きつけるように紡がれる邪悪を暴露する声は、死後も消えず蘇り続ける無念の声そのものと聞こえてくる。慄然とする。

この“詩集”を初めて読んだとき、これは“詩”集なのだろうか、と戸惑いが起きた。“歌”集か。“叙事詩”集か。“風刺詩”集、“批評詩”集……劇詩、という名を思い出し、舞台の上でただ一人、照明の中で語る俳優の姿が浮かんで腑に落ちた。

加藤健一の「審判」を観たことがある。二時間半のモノローグドラマ。演劇、と知りながらその場に引き込まれ、戦慄し、終演後も全身に冷や汗をかきながら茫然と座っていた。俳優が“器”となって、語り手を召喚する。そこには、“体験”があった。死者がイタコの身体を借りて(通して)語るように、“その人”が語りだす。散文で他者が行う告発や批判で超えられない域が、詩を器とすることで超えられていく。

“告発”の先にあるものは何か。詩集の巻頭に置かれた「暗澹たる法廷」が、“その先”に置かれるべき場となるだろう。〈終末の世々に聳えたつ影の絞首台〉〈地獄をも配下におさめた法匪の遺伝子を/すでに血肉に刻んで果てた死後霊だけが/呪いから醒めたその顔を審問に曝して〉……いささか“芝居がかった”台詞だと感じる向きもあるかもしれない。だが、「獄門歌」というレーゼドラマが今、開幕したのだ、そう気づいた時から、野太い声が舞台から響き、観客席が闇に沈んだような感覚を覚えた。たとえ死によって地上から消えたとしても、その罪状は決して帳消しにはならない、いつか必ず裁かれねばならない……詩が、器となって無念の思いを抱えて消え去った者たちの声を語り始める。独白ではなく、語りかける、呼びかける詩。

第三章には香港の民主化運動に“心を寄せた”詩や、テニスプレーヤーの大坂なおみが人種差別の犠牲者の名前を刻んだマスクで闘ったことに“触発”され、“共感”して創作された詩も収められている。なぜ強調符を付けたか。それは、語り手(書き手)の添田馨を霊媒として、告発の当事者が内に“降りてきて”語りだすような具合に生まれた詩であるからだ。香港民主化運動の象徴的存在だったアグネス・チョウさんの語る応援演説――スポークンワーズを聞くうちに、いつのまにか中国語で詩を書いていた……大坂なおみの“闘い”に見入っているうちに、英語の詩が湧いてきた……詩集刊行後の、カフェなどでの朗読会の際に書き手本人から聞いた、詩が生まれ出た経緯の不思議。にわかには信じがたいかもしれない。論理的に(説明的に)書くならば、添田の常人を超えた共感力とこれまでの知的経験の積み重ねが、母国語ではない言葉での詩を生むという飛躍を起こさせた、ということになるだろう。(詩作品として完成させる段階で、ネイティブの方や専門家に協力を得た――推敲の助力を仰いだことも、あとがきには明記されている。)

三章には、「プーチンを終わらせる」という、まさしく激烈な作品も収められている。プーチンは言葉の詐術を用い、言葉で命じて戦争を始めた、言葉で兵士を動員し、言葉で攻撃を命じた、言葉で始まったものならば、言葉で終わらせることができるはずだ、そう考えている内にこの詩が生まれた、という――詩集刊行後に朗読会の場などで添田自身から聞いた言葉であるけれども――それを極論と考えるか、悲願が見出した究極の論理と見るか。

この作品は、感銘を受けた日本人の専門家の手によりロシア語に翻訳された。そのロシア語の詩を、ウクライナからの避難民が朗読会で読む、という機会も生まれた。「カフェ・水曜日」という上石神井にあるカフェでの出来事だったが、その時、この詩を朗読した女性は、プーチンと闘うために、私は今日、ここにこの詩を読みに来た……というようなことを語った。このようにして、今、必要とされる一篇の詩が、少しずつ手渡され、口伝えられていく現場がそこにあった。「プーチンを終わらせる」には、プーチンの演説を反転させてロシア軍の兵士に降伏を呼びかけるメッセージの部分がある。(先日、ゼレンスキーが同様のメッセージをロシア軍の兵士に呼びかけているのをテレビ報道で見たばかりだ。)

この“詩集”は寓意や風刺、批判の面もあるのだが、“予言”的側面もある。この詩集が刊行された一週間後、この詩集で批判の的になっている元首相が暗殺された。「暗殺」という詩が含まれた詩集を出した直後のことで、さすがに後味が悪かった、と添田は語っていたが……また、この「暗殺」という詩のなかには〈成功確率は五分五分だったろう/完璧な警護は存在せぬから〉〈私の背後に立ってはならぬ!〉というような、実際の暗殺を予知するような文言が含まれていることに吃驚する読み手もあったが……私には、むしろ〈歴史はそれで動いたのか?/世界はそれで変わったか?〉〈誰かが消されたあとには/誰かのいない宇宙が始まるだけだ〉〈用心しよう、罪びとたちよ/なにひとつ罪のない者だけが/お前のその引き金をひくがいい〉というフレーズの方が響く。暗殺という暴力では世界は変わらない、変えられない。必要なのは皆の怒りだ、正当な裁きだ、欺瞞や不正に対する憤りだ、そのことを我が身を借りて語れよ、と不正によって死した者たちに呼びかけ、呼び戻し、語らせようとしている。そのような特異な“詩集”なのだ、と思う。

 

獄門歌

 

 

 

瀬崎祐詩集『水分れ、そして水隠れ』(思潮社、2022.7.4)感想

みわかれ、みがくれ、と読ませる。見別れ、身別れ……山の下を流れ地上に沁み出し、別れてゆく水。水に流れゆく先の選択肢はあるのだろうか。みずは「見ず」という言葉にもつながる。山道や野辺の田舎道を連想させる表紙写真は、著者の撮影。砂利や土、野草が生えた前景のみが鮮明で、“その先”は濃い霧に包まれている。

 詩集はクヌギ林に囲まれた露天風呂で〈小さな人〉と湯に浸かっているところから始まる。幼い子供かと思いきや〈年老いた小さい人〉と言い直され、老親を想ったところで〈わたしが手のうえにのせている〉一寸法師のような存在であることが明かされる。私という身から離れて旅立っていく小さな冒険者が、この小さな人、であろうか。魂離れして夢想の世界や思念の世界を旅する語り手。続いて置かれた「夜の準備」は、詩集全体の構造にも関わってくる象徴的な作品である。実際の夜と、精神の夜。〈夜〉になると〈崖の上〉に戻ってくるトラック。運ぶのは〈溶けたもの〉……それは無意識の層から溶け出し、言葉になる手前の意識や感情であることが示唆される。語り手の居る〈崖の下〉では、幼い日に遊んだ玩具のトラックの記憶が呼び起こされている。その頃、荷台から取りこぼしたものは〈姉の大切なもの〉だったはずだが、既に思い出せない。姉も今では不在。語り手の記憶と寓意が融け合うような精神の深みから詩集は出発する。

続いて置かれた「水分れ」では、成人の語り手が夕刻のルーティンであるランニングに出かけようとしている。〈何も持つことを許されない〉まま走り出した〈わたし〉の身体は、次第に雨に濡れていく。〈滴るものをまとってしまったからには 身体はもはやわたしを許そうとはしなくなっている〉……〈許されない〉とは、いったい何を意味するのだろう。〈わたしの大切な人〉であるかもしれない何者かが、部屋の片隅で隠れ続けることによってのみ、居ることを“許される”「うずくまる人」では、“その人”は〈お腹がすいているはず〉なのに、〈わたし〉が何かを与えることも“許されて”いない。“その人”は〈わたし〉自身が見ることは出来ない己の精神そのものであるのかもしれない。触れようとすると阻まれるもの、見ようとすると遮られるもの。それを果敢に知ろうとすること、そのためにある種の禁忌を超えていくことが、語り手の試練となっているのだ。

「泳ぐ男」で〈男〉が泳ぎ渡っているのは死者たちの記憶が溶けて滴っている〈暗い海〉だ。〈摩天楼〉や〈赤茶けた砂漠〉を遠景とする冷たい海は、心地よい都市空間でぬるま湯につかり、陶酔境にいる男が夢想している海でもある。「拾う男」の舞台は夜の病院。〈病棟をつなぐ通路の曲がり角ごとに落ちている眼球〉を拾うのが男の仕事だ。眼球が象徴するのは、見たもの、見えたものの記憶、あるいは忘れるために記憶を捨てること、見ないでいようとすることへの問いであり、自分、そして人々の記憶の行く末についてのイメージへと読者は誘われていく。「湖のほとりで」や「水際」など、「拾う男」のいた場所よりももっと根源的な“水”の場所、生者も死者も含めて、その記憶から滴って生まれた湖のほとりの情景と、記憶の主体を象徴するような〈眼球〉が打ち寄せる水辺のイメージは、語り手の居る場所の外側に大きく水平に広がる幻想界を想起させる。螺旋階段を昇りつめた先にある病室で、原因不明の口渇に苦しむ老婆たちの……〈膿に汚れた記憶をていねいに取りのぞき、代わりに義眼をはめこんでいく〉治療を施す〈わたしたち〉を描く「塔屋にて」や、失われた〈大切なもの〉のことを思い出せないまま螺旋階段を降り続ける「忘失の人」など、記憶を巡る上下の空間運動のイメージも印象的だ。

〈わたし〉の記憶や経験から溶け出し、滴って遍満し、他者の記憶とも溶け合って、やがて雨となって降り注ぎ、湖や海に溶け込んでいくような記憶と水のアナロジー。その水に身体を濡らして “どこかに”辿り着こうとしていた語り手が、やがて〈小さなものが触れあう微かな音〉がする〈巾着袋〉というリアリティーを得るに至る作品が、「水隠れ」だ。精神が記憶の古層に辿り着くまでに泳ぎ渡らねばならなかった“水”は、ここでは姿を消している。巾着袋に入っている中身は分からないままだが、手触りのある確かさ、という記憶の源泉にまで語り手は辿り着いたことになる。語り手は、〈幼いころに老舗の温泉宿でもらったのよ〉という言葉と共に、この巾着袋を叔母から受け取る。詩集冒頭の露天風呂のイメージが呼び覚まされる。他の作品にもこの不思議な温泉宿が、藍染めの巾着袋、金魚の絵のついた金属のピルケース……など、どこか懐かしさを醸し出すイメージを伴いつつ登場する。仲居さんや女将さん、旅人など様々な人の視点を通じて、その宿の姿が現れそうになっては見えなくなる。

〈わたし〉そして人々の記憶が溶けだし、水のように広がっているイメージと、その領域を潜り抜けて語り手が辿り着く、鄙びた温泉宿。懐かしさと共に、確かな記憶が手渡され、存在していたことを実感する、そんな象徴的な“場所”がこの温泉宿なのだろう。そして、そこで “確かに、失われずにあるもの”としての記憶を再び手にする安堵は語り手個人のものだが、この詩集は個人の幸福を訪ねていく精神の旅に留まらない。むしろ、個人の旅の挿話を挟みつつ、〈眼球〉に象徴される人々の記憶の行く末、社会的記憶の還流へと全体の視野が開かれていく。「女将の出立」は、〈眼球〉の打ち寄せる湖への旅であるが、この女将の宿というのは、失われた〈眼球〉を求めて旅に出た人たちを泊める宿だったのかもしれない、そこで旅に倦んだ人々の疲れを癒し、再びの旅路への活力を養う宿であったのかもしれない。

記憶を他者に手渡していくとき、詩人は言葉を媒介とする他はない。「言葉屋」、「逡巡が渦まいて、夜が」「扉を閉ざして、人々は」など、目に見えない“言葉”が、“もの”としての手触りを持つ存在として伝わってくる作品も、作者の言葉のとらえ方を伝えていて興味深かった。いきもの、として言葉が育ってくる間に蓄えた、それを用いた人々の記憶や体験が、言葉が安易に表層的に便利な道具として用いられることによって削ぎ落されて、ことばのいのちそのものが危機に瀕しているような印象すらある昨今、言葉の手触りを求めていくような寓話が精彩を持って迫ってくる詩集だった。

 

 

 

 

なんどう照子詩集『白と黒』(土曜美術社出版販売2022.6.5)感想

かけがえのない人を失ったとき、理不尽な死や突然の悲劇に見舞われたとき、その後の“生”を人はどうすれば生きていけるのだろうか。自らの心の動きを見つめ、心身の感受する自然や人との関わりの中にその照応を求め、生きる答えを――答えというよりも、支え、という方が適切かもしれないが――見出していく過程が、熟慮された構成によって立ち上がってくる。その感情と思索の深まりを、澄んだイメージと作品ごとにふさわしい文体を模索する中から汲み上げていくところに、この詩集の素晴らしさがあると言えるだろう。

自分の心を見つめる詩集は内向的な独白に留まりがちだが、この詩集は多くの人々のもとに開かれている。その普遍性は、自己の掘り下げの先に、押し寄せる多数の理不尽な死への気づきと“共感”があり、そこから言葉が立ち上げられていることに由来する。自らの思いを単に吐露するのではなく、他者に伝え得るものに鍛え上げること。それは、表向きはレトリックの探索と映るかもしれない。しかし、その探索は自分自身の道行きを振り返り、同じような困難に直面している人を見出していく過程であり、その人々に言葉で寄り添うために何ができるか、何を伝え得るか、と真摯に考える過程で紡ぎ出されるものであって、言葉の構築で耳目を驚かせようとか、新奇な表現で他者に強く印象付けようという意図からではない。そのことが物語(詩のテーマやシーン)の移り変わり、配列、文体や言葉の用い方、比喩の有り方によって自ずから読者に伝わってくる構成の見事さにもよるだろう。

 

詩集は、短い詩行を重ねる、夢見るような「くじらの森」から始まる。働き続け、生きることに疲れた日々、ふと見上げた夕方の空に浮かぶ〈くじら〉……それは子どもたちを乗せて悠々と空を飛ぶ「くじらぐも」のようにのびやかで明るい。しかし雲を見上げる作者は、雲の行く末に死者たちの帰る場所を見ている。そこには〈死んでしまった子供を/背中にのせたまま/いつまでも泳ぎ続ける/母くじらのように/せつない思いで/待っていてくれている〉人たちがきっといる――今は会えなくても、いつかきっと、必ずまた会える、待っていてくれる、そんな切ない“確信”から、詩集全体が始まるのだ。

続いて置かれた「空をゆくイワナ」は、〈白神の源流へと続く粕毛川を歩いている時〉に遭遇したイワナの受難を散文性の強い文体で写生するところから始まる。やがて語り手の想像力は、鳥ではなく魚の側に心を移し、〈鳥に狙われたある日/なかまの内のほかの誰でもなく/それがわたしだったことがうれしかった/魚のイワナのなかまたちは/連れ去られたわたしを仰ぎ見て/別れをおしむこともできなかったが/鳥とともに空になったわたしは/安堵のうちにさよならを言った〉と展開していく。〈死者たちはいつもイワナだ/空を飛んでいったイワナだ〉というフレーズもある。語り手に変貌した作者は、群れとして連れ去られた死者たちではなく、その死者の一人になっている。あるいは、なぜこの人が、という耐えがたい思いが、自分が代わってやりたかった、という願いに反転した後の“死者”としての実感を抱いている。しかし、なぜ……生きていることよりも、逝ってしまった者の側に、その“ひとり”に、心を寄せていくのか。

ひらがな詩の「あめ」は、子どもの死者によって語られる。雨になって津波に飲まれて消えた母が会いに来てくれる……そう思う“ひとり”の生存者の思いに寄り添っていく。続く「涙町」は一般的な行分け詩。〈水町〉という仮想の町が舞台だ。〈家々のほとりには/水がひかりながらこぼれておりました/水の子供はつぎつぎに思い出をくちずさみ/おとなたちは水のくるしみを/こころにかくしながら/うたっておりました〉〈水のねもとからは湧水が/ころころと骨のような音をたてておりました〉〈ふいに声がして/まだ水にはなれませんよ〉〈こんなにも水をふくんだ/たましいだったのかと〉……津波という現実の水、涙という現実の水。そして、命を循環させるものとしての、海から天に還流し地に降り注ぐ水。重層的な水が流れている「水町」なのだ。具体的に被災地を訪れた際の実感を記したと思われる詩もあれば、〈白い夜の真ん中で/私はふたつに裂けるだろう〉と心身を引き裂かれるような体感を象徴的に記した詩もある。しかしなぜ、語り手は、被災地のあまりにも多くの死者の、そのひとりひとりの思いにこんなにも心を重ねていくのだろう。

読者の問いは、1章の最後に置かれた行分けの「睡蓮」、そして観察と思索を凝縮した散文詩「植物」によって、ある種のカタルシスと共に解答を得るだろう。それは事実を物語ることによってもたらされる深い納得と痛切な共感である。(1章末に置かれたこの2作に、2010年末に作者が遭遇した不慮の死の衝撃が記されているが、その内容については、ここでは触れない。)

 

2章は日々の暮らしの中で見出した死や生、運命についての感受や思いが、気負いのない言葉で歌われていく。詩作を楽しんでいる雰囲気も伝わる、ユーモラスな作品もある。3章は、(現世において)私は既に死者であるのかもしれない、〈かりそめの生〉を生きているに過ぎないのかもしれない、という……生きているという実感を忘れて日々を過ごしているような日常の中で、内戦やテロ、過去の戦争、強権政府による暴虐などによって死に至らしめられた人々への思いが、リアルな実感や体感を伴って立ち上がってくる章だ。公園に置かれた「拒絶の椅子」――ホームレスが横になったり占有したりできないように、意図的に仕切りを付けられた椅子を見ながら、身近な場所でも誰かが実際に被っている悲しみや痛みに〈気にも留めずに生きてた〉自分を振り返るような、きわめて今日的、社会的な問題を柔らかな言葉で記した詩もある。このような具体的な生活実感を伴う日々の中で、語り手の思いが個人、身近な場所、日本、そして世界の様々な場所での“ひとりの苦悩”に向っていく道筋が、無理なく示されているといえるだろう。

3章の最後に置かれた散文詩、「冬の蟬」は、〈私たちはきっとだれもが だれかの生まれ変わりなのだ 幸福なうちに死を迎えた人というよりは なぜか非業のうちに果てたものの命を かわりにうけつぐために この世に使いのために よみがえったような気がするのだけれど〉というストレートな“実感”の吐露から始まるが、ここまで詩集を読み継いできた読者には、この素直な述懐がリアリティーを持って受け止められるに違いない。〈私はあの日 だれを変わってうまれてきたのだろう 非業の人はだれだったのか そう感じ思うとき 自分の中の命の熱さがひときわになる〉死者の声を呼び寄せるように、〈しらないはずなのに 命の深みからことばになって ほとばしることがある〉〈ひっそりと死んでいった冬の蟬の なくことのなかったその一生が 声にならなかったなき声が いま私の一行一行に なっているに違いないと思えてならないことがある〉命の循環を思念で理解するのではなく、内から湧きおこる命の熱さとして体感的にとらえ直すことができたとき、語り手は個人の生を孤独に生きることから、多くの死者のひとりひとりを共に生きる“いのち”の場所に開かれ、そこに置かれ直したのだと思う。

詩集の装幀は高嶋鯉水子。迸る透明な水の躍動感あふれる白いカバーは、うっすらと別の水の流れを透かし見せている。カバーをめくるとたっぷりとした水のイメージ。湛えられた命だろうか。見返しには重力に反して天に昇っていくような水の飛沫が記されている。作者の心と詩集の意図を深く汲み取った装幀家の仕事である。

 

 

北原千代詩集『よしろう、かつき、なみ、うらら』(2022.6.20思潮社)感想

静かだけれど物凄い詩集である。すべての作品に驚きと不思議な世界への誘引力があり、しかも言葉の展開に無理がない。“現世”に居て、現世の言葉で歌われているのは確かなのに、光り輝く場所や闇に触れる場所のことが記されている。魂の居場所というものがあるならば、魂の見聞きし感じたことが現世の文字で綴られている、そんな不思議な感覚が立ち上がってくる。

作品がほぼ見開きに収められていて、それが一連の物語となっていくのも読みやすく美しい。詩集は行分け詩と散文詩を組み合わせたⅠ部と行分け詩を中心としたⅡ部に分かれるが、第Ⅰ部の前半は天上に住む人々や精霊のような人々と出会うような神秘的な物語世界(そこでは、語り手のわたし、そのものが楽器のように鳴り響いている)、後半は散文詩による、実際の留学体験を下敷きにしていると思われるリアリティーを持った連作からなっているので、実質的には3章建ての詩集だと言えるだろう。3章にあたる第Ⅱパートは、作者の父や母を見送った折の体験を重ねて透かし見るような私的な世界が展開される。舞台となるのは、作者自身が“山家”(やまが?)と呼ぶ、何代にもわたって受け継がれてきたであろう旧家。家そのものの気配を濃厚に感じながら、暮らしていた人々とその時間、息遣いを記していく。

 

巻頭の「オルガンの日」は、 “わたし”が“うたう器”であること、それを思い起こそうとしている痛みと喜びを感じさせる。天使がまるで隣人のように語りかけてくる冒頭部でディキンスンを連想したが、〈鍵盤のささくれに羽をひっかけて〉というリアリティーや新鮮で体感に迫る比喩表現などに目が留まる。心の不調の自覚が不安をもたらす中、脳ではなく身体で覚えた曲を指が奏でていく、その調べに精神は安堵を覚える。安堵の先には、〈よしろう、かつき、なみ、うらら、〉という柔らかな存在が居る――彼らは〈あるとき歌のように、くちびるに浮かんで〉来た〈架空の子どもたち〉の名だ(「あとがき」より)。

その子どもたちを主役に据えた「よしろう、かつき、なみ、うらら、」は、〈ここは滝のうらがわの家〉と始まる。冬の陽の射し込む室内が、一瞬で滝の裏側に変わるマジック。そこでは神秘的な茶会が開かれていて、集う〈客人はみな/透けることができた〉。彼らは運命がやってくることを〈知らされて頬はあをざめ〉ている。客人たちが花びらを〈生きている茎からむしり〉取る、という詩句には、客人が何事もないかのように笑いさざめく、その情景にぐさりと刺されてしまう繊細な宴主=語り手の心が映し出されているような気がする。〈それぞれたったひとり〉とはいうものの、本当は語り手のみが〈ひとり〉を感じているのかもしれない。語り手はこの美しい光景を痛みと共に感受しているが、〈ひかりの粒が降っていた〉という終行が希望へと転じている。

「記念撮影」は、満開の桜の下での花見を描いているが、〈はじまりを告げるのはいつも/見えないところのほころび〉などの詩句が不穏な気配を呼び寄せる。〈ねむっているような醒めているような〉ひとたちと共に歌う〈不滅の歌〉、〈全身砂糖菓子のように脆く〉なったひとたちと分かち合う紅茶と茶菓子。〈たましいは出かける準備をはじめる〉……祖母の車椅子を押しながら満開の桜を見上げた日のことを思い出す。続いて置かれた「春の奏楽堂」には、〈いつまでが滞在でいつからが出発でしょう〉というつぶやきも記される。〈天が銀色のチェンバロを奏で〉ているのを聞いてしまう耳、その耳を持つ人ゆえに感じとる予感――盛りを迎えたらあとは散るばかりの満開の花と、その下に集う、既に半ば天界に足を踏み入れた銀髪の人々。死期の近い人と過ごした記憶が投影されているのだろうか。

 

「f字孔」から続く散文詩群は、身が音楽と成る日々を過ごした人の物語、といえるだろう。〈借りものの楽器〉が動悸を打ちはじめ、生きている、と感じる瞬間。〈先生の内部〉にあるものが開かれ、“わたし”がいつしか楽器そのものとなって〈生まれながらの名を はじめて名乗った じぶんも知らなかった音いろで〉鳴るという驚きを支えているのは、魂の次元での深い交感である。

現実の留学体験を想起させるのは、〈たぶんわたしの姿はだれにも見えていないのだ〉という一言や、血の気の薄いように見える東洋人を気遣って?〈血のソーセージを一本〉プレゼントしてくれたというレッスン生の〈お母さん〉の人柄――ソーセージの赤とその驚きは、〈誰かを轢いてきたような赤い石畳〉という記憶に結び付いている――西洋人の濃厚さというのか、肉食を常としてきた人々の野性的な迫力のようなもの、積み上げてきた歴史的な時間の重厚さが濃縮されているような「しろいアスパラ」など、食べ物にまつわる記憶を描いた作品だろう。続けて置かれた「鯖」には、肉食文化の人たちが育んできた音楽世界の、その香気や美しさに魅せられた“わたし”のまなざしと、魚食文化の中に育った“わたし”の位置の相違、間に横たわる“森”の深さをも感じる。

 

 第Ⅱパート、「父の天窓」は明るんでいく窓の描写の美しさが印象的だ。匂うような悔恨の情と、体験が言葉になるまでにかかった時間。記憶の日差しの中にあらわれ、また去っていく〈父〉の姿を語り手と共に追いながら、〈あのたったひとつの朝のことです〉という結句に込められた痛切な思いに打たれる。

 逃れることのできない最後の旅立ちの日への思いと、断ちがたい愛慕の情、それを引き裂く運命との遭遇、その衝撃を感じさせる「琥珀」や、おそらく病床に付している〈父〉の最後の日々を留めた「楽園」など、旅立ちをこれほど美しく、また普遍的に表した作品には滅多に出会うことはないように思う。

 母を巡る記憶には、まだ癒えない傷口を抱えているような生々しさがある。 「憩いホーム」の送迎車の〈窓にはりつくたくさんのお母さんたち〉(「冬の家」)は、実際に語り手の母の他に同世代、同境遇の女性たちがたくさん乗車していたのかもしれないが、「処置」も合わせ読むと、記憶の中の母、実際の母、私の“母”ではない、と思うような女性としての母、予想外の側面をさらけ出す母……という一人の中の複数性なのかという気もしてくる。

 「夕拝」は、〈老いた母を根っこから引き抜いて〉という一句がズシンと迫ってくる。私にも、いずれは母を、施設や病院に移さなくてはならないときが来るのかもしれない。家を去らねばならない母の痛みを、私は北原さんのように感じることがあるだろうか、と自問自答する。「海のエプロン」のように、母と過ごした日々の記憶が結実して新たな像を結び育んでいるのを感じる作品もある。人ははるかな昔から繰り返し、肉親をこのように見送り、また新たに迎え入れてきたのかもしれない。終盤に置かれた「きよめられた夏」は、心の喪が明けて清々しさと共に過去を振り返っている語り手をイメージした。

 詩集は最後に「ディキンスンのように」という象徴性の高い作品を置いて幕を閉じる。〈クロッカスひとりぶんの温かさ〉〈咲いてしまうほどひとを愛したことがある〉という詩句が心に残った。

 

 

山本博道詩集『夜のバザール』(思潮社、2022.5.31)感想

アジア各地を経めぐる旅から編まれた羇旅詩集……ということになるのだろう。しかし、猥雑で活気に溢れる“豊穣”な現在と、様々な痕跡や記念館、戦跡などから浮上してくる近現代の歴史の層が重なり、さらに“豊穣”に見える市井の人々が垣間見せる経済的な不均衡や理不尽への思いが陰影を深める。その場を訪れたような臨場感に誘われるが、それは旅情や好奇心を満たす旅の魅力だけではない。苦悩や血の記憶の想起、感受と思索の旅という、痛みを伴うものでもある。

〈しずかだった果樹園の村は/数ある処刑場のひとつとして/血を吸った樹木と地面にこびりついた衣服とともに/悲しみをつたえる野に変容していた/そんな場所がこの国には三百二十か所あるというが/五百か所だという話もある〉……処刑場跡に立った時の呆然とした心象を語る、淡々と語り起こすような行分けパートと、〈窓を開けるとぼくの泊っている黄色いホテルのどの部分なのかその黄色い漆喰の壁がすぐ目の前で衝立てのようになっている部屋に四泊したが最初の二日間はベッドの上の小バエに似た数十匹の虫にフロントで借りてきた殺虫剤「Raid」を噴霧しすぎたのかその甘ったるい匂いに悩まされ…〉息つく間もなく紡ぎ出される現在の状況を語る散文パートが印象的な作品、「黄色いホテルと人の骨」。山本がカンボジアを訪れた折の作品だが、この詩のどこにも、国名もポル・ポトの名も出てこない。それゆえに、というべきか、場所と時空を越えた恐ろしさが立ち上がってくる。

詩人の想像力は、“その時”の情景をまざまざと“見て”しまう。〈サトウヤシの樹にはのこぎり状の分厚い葉がぎっしり生えていて/その刃物のような葉で喉をかっ切られて人びとは死んだ/子どもらの足を持って打ちつけたキリング・ツリー/断末魔の叫びをかき消すラジカセを吊るしたマジック・ツリー〉〈べつに理由なんていらなかった/男はバナナを一本盗んだ罪で撲殺された/女たちは闇夜にも月夜にも犯されて殺された/僧侶も医師も歌手も教師も首を斬られて殺された〉……追体験を語るパートの間に、今、詩人が歩いている市場の雑踏が流れ込んでくる。〈日用雑貨、鮮魚、干物、過日、衣類、家電、履物、胡椒、鍋釜、野菜、化粧品、骨董品に生地、絵画、タランチュラにタガメの唐揚げまぎれもなくそこを行き来する全員が殺した方か殺された方の後裔で大にぎわいのトゥール・トンポン・マーケットの食堂の一角で…〉

あわただしく語り終えてしまわなければ息がつけない、というように繰り出される、現在の繁栄、人々の生気や活気、日本とは全く異なる衛生観念、それを呑み込み溢れ出す生命力。過去の“事実”とナマで出会った衝撃や、沸き起こる言葉にならない感慨を語る行替え部分は、余白の部分に作者の感情や思想が言葉になるまでにかかった時間が込められているように思う。

アウシュビッツのことは多くの詩人が語るのに、ポル・ポトの“犯罪” について語る人は多くない。(既に犯の域を超えて、人類の罪、だと思うが)声をあげるには悲惨すぎて、絶句という状態に追い込まれるのだろうか。以前、テレビのドキュメンタリーで穏やかに(というよりも、千年も昔の出来事、という感じで淡々と語る)カンボジアの老人の言葉に戦慄したことがある。誰もが殺し殺されるという重さをナマの感覚として携えているからこそ、未だに語らない、語れないという状態に置かれているのだろう。“事実”の掘り起こしと伝承は少しずつ進められているとしても、悼む、という心にとって最も大切な喪の営みが、未だに沈黙に代替されている、という気がして居たたまれなかったことを、この詩を読みながら思い出していた。

 

他の詩作品にも、タイ、ミャンマーベトナムなど個々の国名はほとんど記されることがない。作品名と訪れた国や都市の一覧の掲載はあるが、一般的な旅行記のように訪れた国ごとに作品を並べるのではなく、テーマや詩作品の持つ情調によって、様々な都市や国での記憶が交錯する。汎アジア的に旅路が想起され、再構成されている、というべきか。

「死の鉄道」では、泰緬鉄道の歴史的事実が現地の風土や人々との遭遇の中で呼び覚まされる際に、自分自身の過去の記憶や、映画や書籍から得た知識が想像力の中で肉付けされて重なっていく。もしかしたら戦時中のPTSDを患っていたらしい作者の父親の記憶なども呼び覚まされるのだろう。

第三次世界大戦前夜のような状況に向いつつある現在、「夏の一日」の中の無防備なほどストレートな一節、〈戦争が世界の庭を実らせたことなど/いちどでもあったろうか〉〈圧倒的な暴力と/欠けらさえない人間の尊厳〉は、その現場に立ち会うことによって出てきた率直な感想として、私たちがまっすぐに受け止めなくてはいけない言葉だ。ヒロシマナガサキ原爆資料館や沖縄の戦争資料館で画像や映像、遺物から受ける衝撃を思い出そう。言葉は遅れてやってくる……手記や日記などが展示されていて、それを読んでいても圧倒的な画像や物の“言葉”が先に押し寄せてきて、語る言葉を失ってしまうような感覚になるだろう。逃げたくなる、と言っても良いのかもしれないが、そこまでの衝撃を“与え続けなくてはいけない”現実が、資料館を存続させているのだと思うとやりきれないものがある。

 

過去との交感ではなく、現在を受け止めた作品にも作者の社会的な視点がうかがえる。「戒厳令の街」は、政治的な混沌や緊張感を圧して(それを乗り越えて溢れ出すように)迫ってくる庶民の暮らし、生活、生きるということの剥き出しの欲望が描きとられているように思う。句読点がなく、まさに文字が詰め込まれている感じだが、脳内再生しても(実際に音読された場合でも)スムーズにつながっていく感覚は、朗読を意識して書いた作品なのかとも考える。

バングラデシュを訪れた時の作品では、まさに喧騒の坩堝、その中で人々がひしめき合いながら働いている日々や人いきれがリアルに伝わってくる。同時に賃金格差や労働とその対価に対する山本の思いが詩の向こうから伝わってくるのが印象的だ。山本がタイのチェンマイで“観光”した、少数民族の“生き方”そのものを“博物館”のように“展示”している村。少数民族の文化伝統、言葉や芸能を“守っていく”ことと、前近代の弊害をそのまま温存することは異なる、と思うものの、そのようにするほか“生きる糧”が得られない人たちがいる、という状況について、考えさせられる。

 

ほっと、どこか懐かしさを感じる風景に出会った安堵感を歌った作品もある。

「露店/茣蓙/風船売り」、「ヤンシン市場」や「風の街かど」などは――私は戦後の闇市を知らないけれども――当時の日本にタイムスリップしているような感覚を覚えた。ピストル持ち込み手榴弾持ち込み禁止、と当たり前のように記される現実には驚かされるが(「ピストルと毒グモ」)、あらゆる虫を(毒や牙、針があっても、弱小であろうと寧猛であろうと)全部ひとまとめに油で揚げて食べてしまう、というバイタリティーは……昔話の三枚のお札などの最後のオチ、鬼や鬼婆を丸め込んで食べておしまい、というしたたかさに通じる面白さや“生きる”エネルギー、暮らしの活力を感じる。

詩集を通読して、市場巡りに憑かれた山本を突き動かしているのは、喧騒や生命力、珍しさや刺激から得られる高揚感といった祝祭的なものや、戦争や歴史、経済に関わる社会的な興味からだけではなく、かつての日本や過去の自分自身の生活、映画や本などに培われた若い頃の熱情との再会でもあるのかもしれない、と思った。

 

 

 

粟裕美子詩集『記憶の痕跡』(紫陽社2022.8.1)感想

のびやかさと時の深みを湛えた詩集。丁寧で無駄のない情景描写に導かれて、いま、目の前にある景色と語り手の心の中に浮かぶ景色、そして土地や歴史が「ことば」に託して語り伝えてきたイメージや物語が鮮やかに立ち上がり自然に接続していく。

言葉は人の一生よりも何十倍、時には何百倍もの長い“とき”を生きる。著者は “ことば”を命あるものとして、その生そのものが私たちに日々寄り添ってくるもの、時には私たちの内に深く入り込んだり、私たちを高く引き上げたりする柔らかな存在として捉えているように思われた。著者は1945年生まれ、この詩集が第一詩集とのことだが、“ことば”との(明確ではない、おぼろな)出逢いをどのように自分の言葉、表現で伝えようか、という探索を、楽しみながら様々に試して紡ぎ出した詩集だと感じる。

 

〈立て板に水の/立川談志の落語を耳にしながら/野ぶどうの蔓がからまる/雑木林を歩く〉冒頭作品、「たそがれのどこかへ」は意表をついて始まる。立て板に水、という言い古された言い回しが、乾いた頭韻となって立川の音に繋がる。〈私〉であることから少し離れて、恐らくイヤホンで落語の語りに耳(と全身)を傾けながらそぞろ歩く雑木林。〈酒に酔っ払ったように赤い葉が一枚〉目の前をゆらりと飛び去り行くと、後ろに〈談志師匠が立っていた〉。〈想いを言葉にして落語にしてみせるという/熱い思いが/自分がいなくなった世界に連れてきたらしい〉と、いらずもがなの“説明”も織り込まれるが、〈ことばたちは愉快に胸の奥に降りてきた〉〈面白くやろうぜ/エールを光のようにスッと入れてきて〉など、肩肘はらずに感慨を書き留めていくところが、この詩人の持ち味だろう。〈秋の終りの匂い〉をとらえる嗅覚と、人ならざるものたちの言葉を聞く聴覚、 “自由に”舞う赤い葉(漆かナナカマドか…)を“しるし”として捉える視覚が混然一体となったところに立ち上がる幻想景は、“そのとき”の感覚そのものの喩となっている。

「書の景色」は、〈自作の書〉がため息をついたりダメ出しをしたりしているユーモラスな景で始まる。擬音語や擬態語が描き出す “かろみ”の向こうに、言葉を綴る者、綴ってきた者たちの記憶もまた内蔵されていて、〈粉雪がまう白い世界〉のかなたに〈小さな文机〉に〈凛と正座する〉〈若者の姿〉が浮かび上がる。若者を見つめているうちに、いつしか〈私〉は若者になって机の前に正座している。〈胸に地球を抱き/ひろがる想いは大きく熱い/雪の白が紙の白にはげしく呼応してきた/私は心情を形にしようと/意識をこめ/何かに挑戦していた/すべてを壊すつもりで/それが楽しかった〉…他の作品にも共通して言えることだが、空想や想像がリアルに体感されていく心の様相を描きとる筆致の巧みさと、無防備なほど素直に〈楽しかった〉〈可愛かった〉と思いを書き留めていく衒いの無さが魅力だ。ちなみに、私はこの「若者」に高祖保の姿を重ねたのだが、どうだろう。

「初雪」「命の気配満ちる宵」「電車の中の若者」は仔猫、カマキリやヤモリ、そして“イマドキの”若者との出会いから受けた思いを、ひょうきんな言い回しも交えながら書き留めた作品。〈私〉と、私を取り巻く〈他者〉との出会いの積み重ねが日常を作り出しているが、普段はそれを意識することはない。さりげないけれども神秘へと思いを馳せたり、命の循環に思いを及ばせるきっかけとなったり、小さな感動や喜びの発見であったりする出来事を見出していくことが、この著者の詩作の動因となっているようにも思う。

「ことばは何かを見ていた」など、“ことば”自体がモチーフとなった作品もある。人が産まれ、言葉を習い覚え、いわば身に引きよせて言葉を“用いて”いるように思っているが、実は言葉の方が人に“憑き”、言葉の命を豊かにしたり生を営んだりしているのではないか……そんな思いに誘われる。形にならない感情、イメージに言葉は“かたち”を与えるけれども、それは一時の濁流や被災として過ぎていくのではなく、繰り返し呼び戻される生き物のように私たちの傍らに生きているということなのかもしれない、“ことば”そのものが独自の生を有している、そんな感覚が伝わってくる。

表題作でもある「記憶の痕跡」は、硬質な題名ながらユーモアにあふれた作品。知識として得たことが、タイムトラベルのように生々しい実感と感動を持って迫ってくる、その原動力となっているのは好奇心や未知に驚く童心なのだろう。そのみずみずしい力が、痕跡を生きた情景へと蘇らせていく。

掉尾に置かれた「覚悟」は、フィギュアスケートの選手の心に成りきって描いている作品だが、詩集の刊行に対する「覚悟」や、白紙に筆を下す際の覚悟をも連想する広がりを持っている。

時を超えたことばの命と寄り添いながら、身近な人や物たちとの出会いの中で生まれた想いを言葉に〈のびやかに〉託していこうとしている詩集である。