詩の中庭

日々の読書、詩集や詩書の書評、覚書など。

『犀星の女ひと』井坂洋子 著(五柳書院 2021.2.28)感想

  

  詩人井坂洋子室生犀星論。はやる気持ちを抑えてページをめくる。ユニークな題名は犀星自身の『女ひと』という随筆集から取られている。〈女人という言葉はあっても、ふつう「女ひと」とは言わない。詩人の勘どころの良さが表れた造語といえよう。〉その“勘どころ”に注目するのも井坂の詩人としての言語感覚だろう。『永瀬清子』を読んだ時にも感じたことだが、井坂が自分自身のことばと感覚でテキストと対話するように読み込んでいく姿勢に強く惹かれる。もちろん、評伝としての予備調査や様々な評者の論考の読み込みは行ったうえで・・・ドキリとするような指摘やユニークな着眼点を“私の視点”として次々に展開していく。読んでいて、薄暗がりの水の中から生き物を逃さずにつかみあげるような取り出し方だと感じる場面が多かった。私はこう読むのだけれど(あなたは、どう考えますか?)と余地を開きながら、今はここを読む、と照準を合わせて余剰を洗い流していくような読み解き方に引き込まれる。

 全編を通して考えさせられたのは、作家にとって晩年とはいつのことを言うのか、という問題だった。いつ終末を迎えるのか、誰もが漠然と予感することはあっても正確には知りえない。書くことへの熱が燃え続けている間は晩年ではなく壮年であり熟年と呼ぶべきか。井坂が本書の始まりから〈文学の戦場〉という言葉を提示して犀星と向き合っていく姿勢は、自身の文学創造に対する厳しい問いかけに逆照射されたものだと感じる。〈あからさまな欲望〉を書いても〈読み手が逃げていかないのは、「犀星術」とも呼びたくなるような文章力と、書くことでより一層裸になっていこうとする決意がにじみ出ているからだと思う。〉その“にじみでているところ”を取り出していく井坂のまなざしは、暗がりに独りで立つ人を照らし出す舞台照明のようだ。それも、輪郭のくっきりした寒々しいスポットライトではなく、周囲を柔らかくぼかすように包み込む、暖色の街灯のような灯り、といえばいいだろうか。

 

 犀星が六十六歳の時に刊行された随筆『女ひと』を巡る第二章の書き出し。〈『女ひと』を読んでいると、さまざまな情景がただ意味もなく肉迫してくる。犀星が、その日、その時に感じたことを、生みたての卵のようにひとつ懐に入れて外から帰ってくる様子が浮かぶ。〉こうした“表現”に出会う喜びも、本書を読む魅力のひとつだろう。犀星が“女ひと”に抱く生々しい熱情を、井坂は犀星の言葉を引用しながら〈絶え間なく挨拶して歩いているとは、絶え間なく筆を走らせていることと同義だろう。心が活動してくれなければ不可能なことなのだが、犀星は恋していると世界が一変して見える少年の日のうぶな恋を、そのために、借りた〉と少し引いた視点から綴る。今なら文字通り“つっこみどころ”かもしれない“男の視点”丸出しと思われるような場所にも目を配りつつ、井坂が拾い上げていく犀星の眼差しを追っていくと、大人の男という表層よりも深いところから出てくる、幼子が母を求めるような根の部分が見えてくる気がする。

 恋愛とは“あなたとわたし”の関係だと思っていたのだが、井坂の導きで読んでいくと母と息子、父と娘の二人の間に、肉体的な欲望や社会的な欲望も絡んだ異性が入ってきて、そこで生まれる三角関係が最初なのではなかろうか、恋愛とはそもそも三者の関係の中から始まるものなのではないか、という気がしてきたのも発見だった。(特に「山吹」を巡る考察など。)女にひそかに母を求めるような犀星の視点は、犀星自身の生い立ちにも因があるかもしれないが、〈女はわが子を得る時に、気高くなれるチャンスをもらう。しかし、男は、子がある年齢に至れば突き放さざるを得ない。もちろん母親においても同じはずだが、母は生涯にわたって子を抱えても許されているようなところがある。〉という指摘や、「山吹」の献身的看病を「母性的」と読み直しつつ〈男女間の、男の女に対する一等高い心もちは父性だ、と彼は主張しているように思われる。また男も、女に、最終的には母性を求めるのだ、と言っているのではないだろうか。〉という考察は、井坂の実感の把握と社会の観察があってこそ見出された犀星の特色という気がする

 自分自身のことを振り返ってみても、触れたい、という想いは愛されたい、愛したい、あるいは確かめたい、という幼児的な肌感覚に根差しているのではないか、と思うことがある。男性が書くものには、しばしば(自分ではいかんともしがたい)性欲との闘い、というような表現があり、特に若いうちはそれは暴力的にまで自分を捉えるものなのだ、というような表現に出会って驚いたりもするのだが・・・それは本能や野生の表出であるとしても、実はそれは表層的なもので、表面の波立ちが激しいがゆえに男性はその奥を見るのが苦手なのではないか。犀星の文章を丁寧に読み、さらに行間を読んでいくことで、井坂は波立つ表層からさらに深層に潜行し、そこから見上げる地点を得ているのかもしれないと思う。

 永遠に他者である異性を“作家”としてどう描くのか、という書き手としての欲望。〈人間から女を抽出することができるのだろうか〉という根源的な問いかけや、〈女という才能〉を愛でつつ〈同時に女性を鏡として、自分という男を映してもいる〉という指摘。円地文子の小説作品そのものへの評よりも〈彼女その人に会った時の印象などに犀星独自の目つきが表れている〉というような一節には、犀星の独自性を評価するとともに、もっとちゃんと作品を読んでほしかったなあ、というような言外の想いも込められているような気がする。

 虚実ないまぜの描写、今でいうファクトよりも作品そのものの面白さや深みを尊重するような“自叙伝”を書いてしまう作家としての丹力に井坂の目が向かっていくところなど実に爽快だ。文芸評論家としてひとつの型にはまって物を書いていく人たちには見いだせない犀星の姿が照らし出されている部分ではないかと思う。林芙美子を(現役作家ではないのに)採りあげた犀星の懐を読んでいくところ、〈実際に自分の身に起きたことを描きながらも、それがフィクションの礎となることを知っていた。私的な話から普遍的な主題へとうまく書けば伸びあがるのだ、ということを本能的に嗅ぎつけていた〉という評価などは、自分の体験を何らかの形で種にしないと書けない不自由さを常に感じている自分のことを思い合わせ、書くことに背を押してもらったような気もする。

 犀星が『黄金の針』に〈女学生のような〉文字で書きいれた一言や、造本や宣伝にまで関わろうとしたところ、“女ひと”を書きながら〈相手に吞まれないためでもあるし、同時に呑まれてみるため〉に愛称をつけていくところなどを拾っていく井坂の細やかな視線。それは俳句の章における〈キャッチフレーズというか新聞の見出しのようなフレーズが得意〉という点にも通じていく犀星の特色でもあるのだろう。書き手であると同時に、作り手、編集者やプロデューサーとして外側から自分の作品を見ることができる人。小山いと子の様子を聞いていた運転手の言葉を拾い上げる取材力・・・〈女性の肉体をもつものとしての体験や、女の内側を見せている文章には注意を払い、好奇心をもつ〉犀星が、当時の(もしかしたら今でも)女性作家の悲しみや憤り、覚悟を読み取っていくところは、自身の欲望に誠実であると同時に相手の作家としての意識にも誠実であろうとする人間としての奥行や面白さが表れているところのようにも思う。

 〈犀星の文章のよさは~思いや情念や想念が、ただひと筋の光明のように自分を突き動かしていくところまで追うところにある〉〈犀星の文章にはレンビンの一滴が必ずあって、すさみは感じられない〉〈私たちはゲンジツではなくその人の話(語り)を受け取る~人の語りという媒介を渋紙の愛と呼んでもいいかもしれない〉〈犀星を読む人というのは、そのキテレツさに容易には吞み込まれない書き手の、脂汗のように自然とにじみだす語りに蛇のように巻かれて、こちらの能面のような気持がほどかれる安心を得るのかもしれない〉〈文章の中で鮠のように泳ぎまわる筆つきに~自分にも動く心臓があることに気づくのだ〉など、犀星の文章そのものから井坂が読み取っていく“犀星(らしさ)の現れ方”、〈目の前の木々や下草や泥や水流などが~自分を超えるものとしてそこにあって、黝い実在感をもって肉迫してくる〉・・・犀星を通して見る世界の現れ方、といってもよいかもしれない部分への着眼、〈目新しいことばの組み合わせ〉を〈物語世界を築くための画鋲にしている〉〈物書きは、自分の世界を広げて、そのまん中に座っている間は永遠の顔相になっている〉といった鮮やかな取り出し方などは、まさに感嘆の一言だ。

 「山犬」の章は読んでいて胸が高鳴る感じがした。三好豊一郎の“犬”を読んだ時、ぞわっとするような・・・自分の外に出てしまった魂をこの詩人は感じ取ってしまったのではないか、というような感覚を覚えたことがあったが、井坂の進行で読んでいくと犀星の中の野生が化身となって表れたもののような気がしてくる。柴犬を〈観る〉側に戻ることで、犀星は自分の魂を自分の肉体のうちに取り戻し得たのかもしれない。

 

 犀星の俳句についての考察も魅力的だ。〈宇宙というか大きなものとの交信の中継地であるよう〉〈句を作るに際して自分が今居る場所は、そうわるいところではない~「悦」のような気分を作っているように私には感じられる。それは彼が対象に深くまで潜り、たゆたっているからだ~景はひとつほどで足りて、そこを足場に季節の精の永劫の懐へ潜るという転換なので、それが愉悦に見えるのかもしれない〉などなど・・・

 私自身が、大正末から昭和初期の芭蕉への観方に興味を惹かれているということがあるかもしれない。たとえば、伊東静雄卒業論文が子規と芭蕉を比較しながら芭蕉に軍配を上げるものだったのはなぜか・・・明治初期から続いた近代化、写生、客観優勢への疑問が生じてくるのがこの時期であったからか。自然主義に飽き足らずモダニズムを求めていった心理、“主知的抒情”とはそもそも何だったのか・・・読むほどに疑問の湧いてくる時期でもある。新しい韻文、新体を求めた明治の詩が、一気に口語へと“解放”されていく勢いを支えていたもの。その勢いがもたらしたものへの疑問、再び現れる文語詩の問題・・・。文語に詩情を求めていく時期と帝国主義化が重なっている時期だけに、口語から文語への移行は退行やナショナリズムと捉えられがちだが、本当に退行なのか、解放され過ぎた詩語に対して、熟成の圧をかけようとする模索の中で、“再選択”された文語ではないのか・・・といった疑問の前で、右往左往しながら扉を探している、というのが現在の心境だ。

 俳句に始まり、俳句に終ったという犀星の句と文学、抒情小曲から詩への移り行きを、深く読み込んでいく必要があるような気がする。犀星の文語抒情詩を高く評価した朔太郎の観方は、口語と呼ぶにはあまりにも文章語に傾いている静雄の第一詩集を“廃れつつある抒情を継ぐ者”として高く評価した観方に通じるものがあるようにも思う。同時代人の目にどう映ったか、ということも含めて、伊藤信吉の観方や白秋との関係(伊東静雄であれば藤村との関係ということにもなるかもしれない)も再度、考えてみたいと思う。